top of page

​過去の礼拝説教集2021年5-12月

2021年4月25日(日)10:30~

 聖書 コリントの信徒への手紙一13章1~13節

 説教 「最も大いなる愛」

​ ​牧師 藤塚 聖  

 使徒パウロは、キリスト教の成立に関して欠くことのできない重要な人物です。彼はきわめて伝道熱心で、アジアからヨーロッパにかけて、多くの教会に影響を与えました。しかしその一方で、彼について行けない人も多かったし、彼と仲たがいして一緒に活動出来なくなった人も少なくありませんでした。このように、パウロについては良いイメージだけではありません。非常に熱心だったかもしれませんが、決して愛にあふれた人というイメージはないのです。彼はもともとユダヤ教原理主義のパリサイ派に属していたので、自分に厳しくて人にはそれ以上にもっと厳しい人だったと思われます。キリスト教伝道者になっても、ストイックなその性質は変わらなかったのではないでしょうか。彼が推し進めたエルサレム教会への募金活動も、思ったほど支持が広がらなかったのは、彼のそうした欠陥が災いしたのかもしれません。

 本日の聖書個所はそれと関係するかもしれませんが、パウロは自分の愛の薄さを自覚しているからこそ、愛の大切さを強調しているのだと思います。前段では、教会の信者にはそれぞれ色々な賜物があり、どれも大切なものであって優劣はないと語りながら、その議論を突然中断してまで、いきなり愛について語ります。つまり種々の賜物がどんなに素晴らしいものであっても、そこに愛がないならば全く役に立たないと言いたいのでしょう。異言や預言や知識(1,2節)のこともそうですが、山を移すほどの信仰があっても、全財産を施しても、自分の命をささげても、というくだりは(2,3節)、パウロが自分自身のことを振り返りながら、自戒の念を込めて、まるで自分自身に言い聞かせているかのようです。実際に彼の信仰たるや山を移すほど強かったでしょうし、伝道のために、全てを放棄して、死ぬこともいとわなかったでしょう。しかし愛がなければ何の意味もないことに、数々の苦しい経験を通して気付かされたのでしょう。

 13節には、この世において、いつまでも残るものは信仰と希望と愛の三つだとあります。そしてその中で最大のものは愛だということです。この言葉を心に刻みましょう。そしてこの世の中に目を転じると、全くそうで はない現実に気付かされるのです。「信仰と希望と愛」の代わりに、「権力と名声と富」が残り、「その中で最大のものが富だ」というのが昨今の現実です。あの東日本大震災から10年を経ても、エネルギー政策の転換が出来ないのも、これだけのコロナ禍の中で五輪の開催に突き進むのも、選挙という権力、開催実績という名声、利権という富、その中で最も大きいのが利権だということなのでしょう。

 しかし私たちを含め、世界はだんだん気づいています。このような世界の在り方はこの先もうもたないと。経済優先が環境をいためること、権力の集中と富の偏りが世界を不幸にすること、愛に基づく価値観への転換が必要なこと。ここ数年盛んに言われているSDGsも、言葉を変えれば、愛に基づく社会というでしょう。

 人は、互いに愛して愛されるように、神によって造られています。イエスキリストはその典型であって、愛に基づく人間の本質を徹底的に生きて下さいました。そしてそれは決して手の届かない遠い目標ではなくて、私たち自身の本来の姿だということを、忘れずに覚えておきましょう。                        

(牧師 藤塚聖)

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

2021年5月2日(日)10:30~

 聖書 コリントの信徒への手紙一14章26~33節

 説教 「批判的であること」

​ ​牧師 藤塚 聖 

 

 私たちは批判ということを嫌います。特に教会では、説教を批判してはいけないとか、聖書を批判的に読んではいけないと教えられてきました。でもそれは本当に良いことなのでしょうか。そこには誤解もあって、批判を非難や否定と混同しているところがあります。むしろ言葉の正しい意味での批判は必要なことだと思います。

 新約聖書では「批判」はクリノーという語が使われていて、英語で言えばジャッジです。「区別する、判断する、さばく」という意味があり、裁判官のジャッジなら、証拠を良く見極めて有罪か無罪かを判断するわけです。そのように批判とはただの非難や、何でも反対して否定することではなくて、物事をしっかり識別して判断を下し、自分の考えを明確にすることなのです。

 牧師の説教に対しては、批判ではなく素直に受け入れることが大事だと言われます。しかし10人の説教者がいれば10通りの違いがあり、場合によっては真逆の結論になることもあります。その両方に賛同するのは無理なので、そういうとき私たちは無意識の内に取捨選択して、受け入れられるものを受け入れ、そうできないものは無視してやりすごしています。これは自然なことです。

 また、聖書を批判的に読んではいけないと教えられますが、それは神の啓示によって書かれた特別なものだからという訳です。しかし、神の啓示であれ聖霊の働きであれ、それを受け取り表現したのが人間なのだから、いくら聖書であっても神の啓示そのものだとは言えません。人間が介在している以上は、それを同じ人間である私たちがどう受け取りどう判断するか、やはり批判が必要になります。このように、人はいつも無意識の内に批判という営みを繰り返しています。それは当たり前のことであって、それが生きるということなのだから、それをはっきりと自覚した上で、物事に向き合うべきです。

 これらを考える上で、参考になることをパウロは語っています。彼は集会で「異言」を語ってもいいが、その内容を解釈する者がいないときは、口に出さないで自分の心の中で語るべきだと言います(28節)。そうでないと誰も理解できないまま集会が終わってしまうからでしょう。また「啓示が与えられた」(30節)というのは、神からのインスピレーションのようなことであって、その内容を分かる言葉で語るのが「預言」です。礼拝の説教もその一つです。それに対しては、聴いた他の者がそれを「検討」しなさいと言っています(29節)。どうしてかというと、預言は霊の賜物によるけれども啓示そのものではなく、それは預言する者の個性や願望や価値観とむすびついているからです(32節)。だから本当にそうなのかを「検討する」、つまり批判が必要になります。

 このように考えると、この世には人を介したもので批判の対象にならないものはあり得ないということになります。宗教の教典や教理も例外ではありません。もし批判できないものがあるとするならおかしなことです。私たちは批判しながら間違いも犯します。だから当然この私も批判される対象です。このように、相互批判が当たり前になされているということは、とても健全なことなのです。私たちの教会もそうありたいものです。                    

(牧師 藤塚聖)

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

2021年5月9日(日)10:30~

 聖書 コリントの信徒への手紙一11章2~16節

 説教 「ジェンダーを考える」

​ ​牧師 藤塚 聖  

 パウロは、女は教会では黙っていろ、女は(男に)従属しろと言っています(14:33以下)。なぜパウロはこのような差別的な考え方をするのでしょうか。その理由が11章2節以下に書かれています。改めて読むと愕然とするほど女性蔑視で男尊女卑なのです。女性の権利を守る人権団体に訴えられてもおかしくはありません。

 まず3節では、一番下から順番に女、男、キリスト、神という上下関係、序列が言われています。女の頭は男なので絶対に対等にはなれません。そして女は人前で頭に覆いをつけなければならないとあります。今で言うブルカやニカブのようなものでしょうか。覆いをつけるのが嫌なら髪の毛をそり落とせとまで言っています(6節)。髪を覆う風習は西アジアに広まっていて、ユダヤ人の女性もこれを守っていました。パウロはそれをそのままコリント教会に持ち込んだのです。大きな反発があったのではないでしょうか。

 髪おおいを強要する理由は、堕落した天使の誘惑から身を守るためだとあります(10節)。堕天使は地上に下りて女に子を生ませると考えられていました(創世記6:1以下)。女は髪を覆えば、従属している男のものだという印になるので、天使も手を出せないという訳です。つまり女は男の所有物なのです。7節はそれを露骨に表現しています。男は神の形であり、神を反映しているけれども、女は男の反映にすぎません。つまり男あっての女ということです。

 パウロにとっては、創世記にある「創造神話」が女性差別の根拠になっています。そこには、神はまず初めに男を造り、男に助け手が必要だとして、そのあばら骨から女を造ったとあります(創2:22)。パウロにとって、それは神話ではなくて、神の真理そのものと考えるから、「男が女から出たのではなく、女が男から出た」(8節)、「男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られた」(9節)と信じて疑わなかったのでしょう。女は男がいてはじめて存在がゆるされることになるので、パウロのあのような偏見に満ちた発言につながるのでしょう。

 さて、私はこれらのパウロの言葉が問題だという声を、今まで教会の中で聞いたことがありません。今になってみると不思議な気がします。たぶんみな見て見ぬふりしてスルーしてきたのでしょう。

 もしパウロの言葉に一縷の希望があるとするなら、「主においては、男なしに女はなく、女なしに男はありません。…すべてのものが神から出ているからです」(11節)というところです。「ユダヤ人もギリシャ人もない、…男も女もない、キリストにあって一つ」(ガラテヤ3:28)にもつながります。男女共に、双方が双方のために生きるべきだという主張は、この時代では特筆すべきことです。

 最後に一言。パウロを擁護する意見として、この時代に現代の人権感覚を持ち込むのはおかしいというのがあります。以前は私もそれをある程度認めてあまり問題視しませんでした。しかし今はそう思いません。たとえ時代や状況は違っても、批判すべきものはきちんと批判すべきだと思っています。そうでなければ、今も根強くある女性差別や偏見に対しても、同じように誤魔化してしまう危険があるからです。

(牧師 藤塚聖)

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

2021年5月16日(日)10:30~

 聖書 コリントの信徒への手紙一15章42~49節

 説教 「朽ちないものになる」

​ ​牧師 藤塚 聖  

 

 パウロがコリント教会へ手紙を送った目的の一つは、教会からの問い合わせに回答するということでした(7:1)。その問い合わせは多岐にわたり、その中に、死者はどんなふうに復活するか、復活の体はどういうものかという質問がありました(35節)。おそらくパウロにとっては、復活のありさまやその体がどんなものかは、そんなに重要なことではなく、キリストが復活して、私たちの復活の先駆けとなったということが肝心なことだったと思います(49節)。

 その証拠に、復活の体を説明することについては、あまり熱意が感じられず、素人でもちょっと考えれば思いつくようなことを言っている印象です。要するに、自然の体と霊の体は違う(40節)というごく当たり前のことだけなのです。ただし、人が自然の体で生まれた時は、朽ちる、卑しい、弱いものだったけれども、それが霊の体によみがえる時は、朽ちず、輝かしく、力強いものとしてよみがえると言います。パウロは体に何らかの障害を抱えていて、それで随分苦しんだので(2コリ12:7)、それだけに、自分が復活の体としてよみがえる時には、それが完全に克服されることを思い描いていたのでしょうか。

 さて「使徒信条」の最後に、「体の復活、永遠の生命を信ず」とあります。それが言っていることは、人はたとえ死んだとしても決して消えて無くなるのではないということです。それをさらに突き詰めれば、人は生きていても死んでも変わらずに神の愛の中にあるということです。体の復活と永遠の生命の本質とはそういうことなのです。

 以前説教で、尊敬されていた牧師が死ぬ間際に、死後の世界は虚無かと不安を漏らした話をしました。私は死に方というより、その牧師がどんな神学の影響を受けていたか考えさせられました。もし生きる時も死ぬ時も変わらない神の愛を素朴に信じていたのなら、あのような不安とは無縁だったかもしれません。

 ところで、パウロはどうしてこれほど「体」の復活にこだわるのでしょうか。「霊魂の不滅」ということではいけないのでしょうか。パウロの反対者の中にも霊魂不滅を支持する人たちがいました。彼らは肉体を悪と考え、死ぬことにより忌まわしいこの肉体から解放されて、魂が神のもとに帰ることを救済と考えました。こういう考え方は私たちにも分かります。というのは、体を伴って生きるということはなかなか大変なことだからです。老いと共に色々なことが出来なくなり、体の自由は奪われ、大きな障碍や病を抱えるかもしれません。生きることは喜ばしい幸いなことばかりではありません。それをきれいさっぱり脱ぎ捨てたいと思っても不思議ではありません。しかし全てを否定して、魂だけ救われるなら、私たちが生きた人生は意味のないものになってしまいます。果たしてそれでいいのでしょうか。

 パウロは、苦労多き生活を「体」という言葉で表現しているかもしれません。そして、朽ちゆく卑しい弱いものとしての体にこだわるのは、たとえそうでも、神の愛の中にあることを信じるからです。そしてそれは、いずれ神の愛の中で、朽ちずに輝く強いものとして完成されるという希望をもっていたからでしょう。

 パウロと同じように、人生において艱難辛苦があったとしても、その中にも神の愛と祝福を信じられる人は幸いです。

 (牧師 藤塚聖)

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

2021年5月23日(日)10:30~(ペンテコステ礼拝)

 聖書 コリントの信徒への手紙一15章50~58節

 説教 「死なないものを着る」

​ ​牧師 藤塚 聖  

 

 本日は教会暦でペンテコステということになっています。イースターから40日後にイエスは昇天し、50日後のこの日に弟子たちに聖霊が下り、宣教が開始されたことになっています。そのために、この日が教会の誕生した日とも言われます。しかしながらこのような見方は、使徒言行録にしかなくて、聖書全体が語っていることではありません。例えば、弟子の宣教開始どころか、イエスの生前から、彼の名によって自主的に治癒活動するグループもあったし(マルコ9:38)、パウロの活動以前から、ヨーロッパには信者のグループが幾つもできていました。

 またヨハネ福音書では、イエスが十字架に上げられることが、神への帰還(昇天)と考えられていて、復活のイエスとの出会いが聖霊の授与と同じように理解されています。つまりヨハネ福音書に沿うならば、ペンテコステの出来事はイースターと同時に起こったことになります。そういう見方もできるので、本日は教会暦にこだわらずに、まったく関係のないパウロの手紙から説教をいたします。

 先週お話したように、コリント教会の質問に対して、復活の体は今のこの体とは違うとパウロは言いました。ではその転換はどの時点で起こるかというと、終末の時ということになります。彼は、自分の生きている間に終末が来ると信じていたようです(51節)。もう少し若い時にはすぐに来ると本気でしたが、年月の経過と共に、だんだん緊張感は薄れたようです。ピリピ書では、とうとう終末の前に自分が死ぬことも考えるようになりました(1:23)。

 その終末はラッパの音から始まり、もっと詳しい様子は他で語っています(1テサロニケ4:15以下)。その描写はまさに神話的であり、天から降って来るキリストと、空中で出会うため雲に包まれて引き上げられるなど、ファンタジーそのものです。ラッパの音が合図で、一瞬にして復活の体に変わるというわけですが(52)、このあたりはスルーして、パウロが「朽ちないものを着る、死なないものを着る」(53節、54節)と言っていることに注目したいと思います。

 なぜ単純に「変わる」とか「交換する」とか言わないで、「着る」という言葉を使うのでしょうか。その真意は分かりませんが、今あるこの体を消してしまったり、否定してしまうことを避けたかったからではないかと思います。つまり、私たちの体は患うし、思うようにはならず、だんだん衰えて、いずれは朽ちてしまうものです。それは私たちの人生そのものです。しかしそれは否定してしまっていいものではなくて、その本質は完成されているものとして考えたのかもしれません。彼は別のところにこう書いています。「私たちの外なる人は衰えても、私たちの内なる人は日々新たにされていく」(2コリント4:16)

 このように、朽ちて死ぬべきものを、一度リセットして消去してしまうのでなく、今あるものの上に、すっぽりと朽ちず死なないものが着せられるというのは、色々あったとしても、私たちの人生すべてが肯定されるということなのでしょう。だから「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならない」(58節)と言えるのです

(牧師 藤塚聖)

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

2021年5月30日(日)10:30~

 聖書 コリントの信徒への手紙一16章1~4節

 説教 「教会の募金について」

​ ​牧師 藤塚 聖

  

 パウロはいわゆる「宣教旅行」というものを3回行っています。それぞれ数年かけて各地を巡りました。ただし1回目は、期間も短くて移動範囲も限られていました。それが2回目と3回目では期間も範囲も大幅に拡張され、全く違った旅になりました。小アジアはほとんど通り道のようになり、アジアの西の端のトロアスからエーゲ海を渡ってギリシャにまで足を延ばしたのです。それと旅の終着点は、出発したアンテオケではなく、なぜかエルサレムになりました。

 この変化は、第1回目と第2回目の間に行われた、エルサレムでの代表者会議に理由があったと思われます。この頃は、キリスト教会といってもユダヤ教のなかの一宗派にすぎず、相変わらず律法と神殿を中心としたユダヤ人の宗教でした。そもそもユダヤ人以外の外国人は、信者になれなかったのです。それに対して、パウロたちは異邦人を中心とした律法から自由な教会を作りました。エルサレム教会のようなユダヤ人教会は、それを大きな問題と感じたことでしょう。異邦人教会には、ユダヤ人がやって来ては干渉するので困っていました。そこで両者の代表が集まって話し合いがなされました。ユダヤ人にとって信者になるには割礼は絶対条件でしたが、パウロたちはあえてギリシャ人のテトスを同伴して、割礼の強要を拒んだのでした(ガラテヤ2:3)。話し合いの結果、両方の教会の住み分けが決まり、異邦人教会はエルサレム教会への献金を条件に、存在を認めてもらうことになりました(2:10)。

 不思議なことに、この会議の結論がパウロとルカでは大きく異なっています。パウロは、献金以外は何も要求されなかったと言っているのに(ガラテヤ2:6)、逆にルカは献金には全く触れずに、幾つかの律法遵守だけを結論としています(言行録15:29)。その後のパウロの活動から考えるならば、献金の要求は間違いなくあったはずなので、ルカはそれを認めがたいこととして、無視したのかもしれません。確かにこの会議の結論は両者に平等ではなく、異邦人教会が承認されるためには、ユダヤ人教会の理不尽な要求を呑まされた形になっているからです。

 それでもパウロは、約束通りに献金を集めて、エルサレム教会に届けたのでした。従って、2回目と3回目の宣教旅行は、宣教のためというより、各地の異邦人教会を募金のために巡った「献金行脚」だったと言っていいと思います。

 さてその募金活動は決して簡単ではありませんでした。異邦人信者にとって、それはユダヤ人教会への上納金にしか見えないし、対等な関係とは思えないからです。マケドニア地方の諸教会は、パウロと関係が良好だったので、求めに応じましたが、コリント教会では相当に難しかったようです。パウロは宥めたりすかしたり、脅したり持ち上げたり、手を変え品を変え何とか説得しようとしますが、思ったようには集まらなかったのではないでしょうか(2コリント8章、9章参照)。

 こうまでして募金活動にこだわったパウロの真意はどこにあったのでしょうか。一つは、立場の弱い異邦人教会を守ろうとしたのでしょう。その為の譲歩でした。それともう一つはエルサレム教会とのつながりを重んじたことです。古い伝統に縛られている彼らも、いずれ自分の考えを分かってくれると期待したのでしょう。そのために自分の方から扉を閉ざすことはしなかったのです。

(牧師 藤塚聖)

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------​​

2021年6月6日(日)10:30~

 聖書 コリントの信徒への手紙二1章1~7節

 説教 「公同の教会を信じる」

​ ​牧師 藤塚 聖 

 

 「使徒信条」は私たちが信仰するべき項目を並べていますが、その最後の方に、「聖なる公同の教会」を信じるとあります。それはどういうことなのか考えてみたいと思います。

 その前に、使徒言行録に書かれている教会の進展について説明します。まず注意すべきことは、使徒言行録が語る歴史は、あくまでも著者ルカの歴史観であるということです。ルカは、弟子中心のエルサレム教会がまずあって、そこから信徒が各地に派遣されて発展したと書いています。しかしながら、事実はそんな単純ではなく、エルサレム教会以外にも最初から多様な信者がいて(9:10、16:9他参照)、それぞれグループを作っていたようです。エルサレム教会の中にも考え方の違いがあり、別れていく信者たちもいました(6:1)。

 ルカは、教会の歴史を理想的に描きたいので、一つの中心教会から平和的に他の多くの教会が生み出されたと言いたいのですが、本当は教会というのは最初から多種多様でまとまらないものだったということです。何が真実であるか真剣に追求しようとすると、考え方の違いが生じるのは仕方がないのかもしれません。その後の教会の長い歴史を見ると、分裂に次ぐ分裂です。それは教会というものが最初から持っていた特性というしかありません。

 このように、自分たちと傾向の違う教会や信仰とどう向き合っていくべきか、パウロとコリント教会との関係からも学ぶことがあります。コリント教会はパウロがその基礎を築きましたが、その後は別の宣教師の影響もあり、パウロに批判的な声が大きくなったようです。コリントの信者にしてみると、パウロはイエスの直弟子でもないし、ユダヤ教的な習慣を押しつけるし、不信感が募りました。またコリント教会の信仰は、信者は特別な人間になれるというご利益的なものでした。パウロが説く、「信仰義認」や「弱さの中の力」という逆説は分かりにくかったのです。

 そのように激しく反発する教会だったので、パウロは非常に苦しんだようです。しかしながらその教会に向けても、「神の教会」、「聖なる者たち」(1:1)という呼び方をしています。つまり、パウロは相手がどうであろうと、信者である人は神に呼び出されたのだと言いたいのでしょう。また「聖なる者」とは、聖人君主的な意味ではなくて、神に所属することを表現しています。それ故に信者にその権利を付与しているのはあくまでも神なのだから、他人がどうこう言えることではないという反省が込められているのでしょう。

 このような自覚は非常に重要だと思います。私たちは自分自身と教会の仲間を、神に呼び出されて神の所有になったと本当に認めることで、初めて謙虚になれるのではないでしょうか。それが「公同の教会を信じる」ということです。世界には数えきれない教派が存在します。中には認め難いものもありますが、その教会も神に呼び出されている以上、神のみ手の中にあると信じるしかありません。

 それと、パウロが自分たちの苦難がかの地の人々の慰めになると言っていることに注目しましょう(1:6以下)。自分の足元の取り組みが、遠くの離れた人たちの取り組みに深いところでつながるという見方です。香港の民主活動家の周庭(アグネス・チョウ)さんが、報道のテレビカメラに向かって、「私たちのことを忘れないで周りに伝えて下さい、そしてあなたの足元の民主化を進めてください、それが深いところで香港の民主化につながります」と語った言葉を思い出します。

(牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

2021年6月13日(日)10:30~

 聖書 コリントの信徒への手紙二4章7~15節

 説教 「苦しみについて」

​ ​牧師 藤塚 聖  

 先週の説教で、キリスト教会というものはその始まりからして多種多様な考え方が混在していたので、簡単に一つにまとまるようなものではなかったという話をしました。例えば、最初のエルサレム教会の中でさえ対立や決別があり、パウロたちの異邦人教会の中でも、分派や争いが絶えませんでした。それを裏付けるように、新約諸文書のキリスト信仰も見てすぐ分かるとおり、キリストが共通項になっているだけで、その内容はまったくバラバラなのです。

 コリントの信者たちの信仰と、パウロの信仰との間にも違いがありました。コリント教会では、信者は霊を受けて特別な人間になるという考え方が強かったようです。奇跡をおこなったり異言を語ったり、いわば神がかりになることが信仰のしるしになっていました。

 しかしこれらは特殊なことではなくて、私たちの中にも形を変えて存在するのではないでしょうか。神は祈りに必ず応えてくれて、不幸や災難からも不思議にも守られて、たとえそうでなくても、そこから奇跡的に救済されるという信仰です。つまりその信仰とは、神がかりを呼び込むお守りみたいなものかもしれません。

 それに対して、パウロが説くのは、私たちの苦難はイエスの死を身にまとうことだというのです(10節)。それは必ずしもハッピーではないけれども、そこにイエスの命が現れるというわけです(11節)。コリントの信者にとっては、何の有難みもない話しかもしれませんが、私にはむしろ非常に分かる感じがするのです。

 コリント教会をめぐる苦労に限らず、パウロのそれまでの労苦は並大抵のものではなかったようです。8節以下にもそれがうかがわれますが、精神的に肉体的にもありとあらゆる患難を経験したようです(1コリ4:10以下、2コリント11:23以下参照)。彼はそれらの苦難をイエスの苦しみに重ねることで、プラスに転化したのかもしれません。少なくとも、彼にとってキリストは栄光の姿でなく、十字架で苦しむ姿のままで、自分と苦しみを共にしていると思えたのでしょう(1コリ2:2参照)。 

 これは、神やキリストはどう考えるかという問題です。神がかりになる信仰も一時的ならあるかもしれません。しかし長い人生をそれでやっていけるとはとても思えません。例えば、神への祈りは必ず聞かれるのか。もしそうなら、この世界の不条理はとっくに解決しているはずなのに、全くそうならないのです。

 最近ネットで知りましたが、元外務省分析官の佐藤優氏が東京留置場に500日以上拘留されたとき、その独房の隣に連合赤軍事件の坂口弘氏がいたそうです。坂口氏は死刑の重圧の中、聖書を拾い読み、死の苦悩にのたうつキリストが慰めと救いだったといいます。栄光や勝利のキリストではなくて、ある意味でパウロのキリストに近いのかもしれません。苦しみの中に、十字架のキリストあるいは苦しむ神が共にいるのなら、人は何とか乗り越えて行けるのかもしれません。つまり神は利益や成功を約束するというより、私たちの足元の支柱であり、私たちの存在の根源そのものだということです。それが本当に信じられるのなら、私たちは何があったとしても自分で生きて行けるのです。

(牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

2021年6月20日(日)10:30~

 聖書 コリントの信徒への手紙二4章16~18節

 説教 「見えないものに目を注ぐ」

​ ​牧師 藤塚 聖  

 

 今年3月に、大学時代の友人から翻訳書が送られてきました。添えられた手紙に1年前に妹さんを亡くしたことが記されていました。妹さんのことはよく知っていたので、すぐに電話をして詳しい話しを聞きました。本人は看護師だったのに、紺屋の白袴とでもいうのでしょうか、がんが見つかった時は相当進んでいたようです。友人はその前年には母を亡くしていて、精神的にとても落ち込んだということです。改めて人の生と死について考えさせられたことでした。

 以前ある聖書学者が言っていたことが、何となく混乱していたことの整理に役立ちました。それは、「いのち」と「生命」を区別して考えるということです。特別目新しいことではありませんが、両者を分けることでとてもクリアになりました。「生命」とは生物学的な寿命のことで、誕生から死までの活動状態をいいます。それに対して「いのち」は他との関わりを含めて、生命よりもっと広いものを言い表していて、生命はいのちのほんの一部に過ぎないと言えます。

 それを踏まえて、本日のパウロの言葉を読み直すと、「外なる人」は「生命」に、「内なる人」は「いのち」に置き換えられるかもしれません。「外なる人」は徐々に衰えて、いずれは朽ち果てます。しかし「内なる人」である「いのち」とは一時のものではなくて、日々新しいと言えます(16節)。そしてそれは永遠というものに、つながるものだということが分かります(17節)。

 ところで、私たちの生命も寿命も、永遠と比べると一時のものかもしれませんが、それでも自分でコントロールはできません。そもそも自力で生まれることは出来ないし、その後もありとあらゆる生物の命を貰うことで命を保っています。人のお世話になるという意味でも他者の命を頂いています。「生命」が保たれるためには、数えきれない「いのち」が関わっていることが分かるのです。

 勝手にイメージすると、現世と来世を貫く大いなる「いのち」があり、私の「いのち」もそこに含まれていて、その一部がこの世で「生命」として現れ出て、その寿命を終えると、元の大いなるいのちに帰っていくというものです。そうであるなら、この世で生きるときに死後を心配する必要はないし、自分の寿命の永続を願う必要もないということになります。与えられた生命を感謝して生きればいいのです。

 これらのことは、聖書の中の「永遠の命」や「復活の命」とどういう関係になるでしょうか。永遠の命も復活の命も、今のこの命がまた繰り返されるということではありません。もしそうなら手放しで喜べないでしょう。イエスは復活後の命は天使のようになると言っていますが(マルコ12:25)、次元がちがうのでしょう。今日の説教の前半につなげるなら、永遠の命とは「大いなるいのち」のことであり、復活の命とは一時の「生命」が「大いなるいのち」に帰ることなのかもしれません。

 私たちは、体を伴った生命や寿命が、ある意味で目に見えているので、どうしてもそれに拘泥しがちです。しかしそれが全てではありません。目に見えない「大いなるいのち」とのつながりに目を注いで、その一部として今ここで生かされていることに感謝しましょう。

(牧師 藤塚聖)

--------------------------------------------------------------------------------------------------------

2021年6月27日(日)10:30~

 聖書 コリントの信徒への手紙二5章1~10節

 説教 「私の帰るところ」

​ ​牧師 藤塚 聖  

 

 私たちはこの世に生を享ける前はどこにいて、地上の生涯を全うした後にはどこに行くのでしょうか。先週、人は神の元からこの世に生まれ出て、天寿を全うして、また神の元へ帰っていくという話をしました。そのときは、神を「大いなるいのち」と言い換えてみました。

 パウロは、そのことをまた違った形で表現しています。現世のことを「地上の住みか」、来世を「天にある永遠の住みか」と言っています(1節)。地上の住みかは「幕屋」、つまり移動式テントなので、この世で生きることは、一時的で仮住まいだという意識があるのでしょう。

 それと共に、パウロはこの世で生きることを、どちらかと言うと否定的に考えているふしがあります。地上の住みかはいずれこわれてしまうし、自分はその中で「苦しみもだえて」(2節)、「重荷を負ってうめいている」(4節)というのです。更に、地上の体を離れて、「主のもとに住むことをむしろ望んで」いる(8節)というのですから、本音は早く死んで神のもとへ行きたいということかもしれません。

 こういう言葉を絞り出すほど、パウロの生活は大変だったのだろうと想像します。もう若くはないのに、伝道活動のため、落ち着く家も時間も持たず、各地を転々とする生活でした。年々重くなる持病をかかえて、天幕造りという仕事で生活費を稼ぎながら、困難な献金集めや各地の教会の苦情処理に神経をすり減らしたのです。もういい加減に楽になりたいと思っても仕方ないかもしれません。その一時的で不安定な「幕屋」に代わるものとして、「天にある永遠の住みか」に移りたいというのが、彼の願いでした。

 私たちは、パウロほど深刻ではないかもしれません。幕屋の中で、苦しみもだえ、重荷を負ってうめき、一刻も早くここから解放されたいとは思っていないでしょう。ただ、今の地上の住みかが全てではなく、その先には、天から与えられる永遠の住みかがちゃんと用意されているというのは、本当に心から安心できることだと思います。それが約束されているから、自分の人生を精一杯に生きようという気持ちにもなります。このように、最終的な自分の居場所があるというのは、人にとって本質的に重要なことだと思います。

 ところで、この「永遠の住みか」が与えられるときに、パウロはなぜ「上に着る」という言い方をするのでしょうか。地上の住みかから天の住みかに「変化する」とか「交換する」のではなく、元あるものの上から天の住みかがすっぽりと覆いかぶされるわけです。これは、「脱ぎ捨てたいからではない」(4節)とあるように、元ある地上の住みかはたとえ問題だらけであっても決して否定されないということです。人生には良いことも悪いことも、光も闇もあります。人間である以上不完全で破れていても仕方ありません。それを神は命の中に包み込んでくださいます(4節)。ここに私たちの希望があります。

 最後のところに、終末の裁きのときに、人はその行いに応じて報いを受けるとあります(10節)。信仰義認を強調するパウロの発言としては問題です。論争相手を意識するあまりに、思わず古い倫理観が漏れ出てしまったのかもしれません。

(牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

2021年7月4日(日)10:30~

 聖書 コリントの信徒への手紙二6章1~10節

 説教 「ほめられても、そしられても」

​ ​牧師 藤塚 聖 

 

 パウロはコリント教会に少なくとも5通の手紙を送っています。第1の手紙の他に、第2の手紙は多分4つの別々の手紙があとから合体されたと言われています。パウロは教会創設の時から関わっていたので、コリントへの思い入れが強かったのでしょう。関係が徐々に悪くなっても、何とか修復しようと努力したことが分かります。

 まず、パウロへの教会内の批判を耳にして、自分をアピールする手紙を書いたのが2章17節から7章4節の部分です。このときはまだ自分の影響力を疑わず、説得できるという余裕がありました。しかしその後、実際に教会を訪ねてみると、思っていた以上に事態は深刻で大きなショックを受けました。そしてその思いをぶつけたのが10章から13章の「涙の手紙」といわれる部分です。それをテトスに持たせてコリント教会に送り出し、自分はマケドニアまで出向いて、その報告を待ちました(7:6)。テトスから教会内の不信が多少解消したことを聞いて、安どして書いたものが残りの部分で「和解の手紙」と言われています。9章の募金依頼は別の機会に書かれました。

 本日の個所は、パウロがまだ自信を持っていたときの発言です。要約すると、良いことも悪いことも同じように受け止め、名誉も不名誉も、好評も不評も、どちらであっても変わらずに神に仕えてきたというわけです。その言い方に特徴があり、4節から5節までは、苦難や欠乏など非常にネガティブな言葉が続き、一転して6節から7節までは、純真や知識、寛容などポジティブな言葉が続きます。つまりパウロは真逆に見える両者を切り離さないで、まるで一つのことがらの表と裏のように受け止めて、自分の活動を紹介していると言えます。ある意味で非常に達観した境地が言われている気がするのです。

 それと同じように、「栄誉を受けるときも、はずかしめを受けるときも、悪評を浴びるときも。好評を博するときも」(8節)、それに一喜一憂しないというのは中々出来ることではありません。ただ私なりに多少分かることは、悪評にしても好評にしても、人の評価はあまりあてにならないということです。同じことであっても、ある人はほめて別の人はそしることもあります。また時代や地域によって、良いことと悪いことの基準が大きく異なるというのはよく知られていることです。今の私たちにとって当たり前のことが、別の時代や地域の中では、絶対に許されない事として断罪されることもあります。つまり世の中の判断基準というものは一様ではなく、相対的なものにすぎないということです。

 このように、物事はどこから見るかで大きく違ってきます。自分では誠実なつもりでも、人には嘘つきと言われるかもしれません(8節)。ある場所では全く知られてなくても、別のところでは知られているかもしれません(9節)。自分自身では満たされているのに、何も持っていない人に見えるかもしれません(10節)。

 結局は、生きる上でどういう尺度をもつのかということです。パウロが全てに対して驚くほど達観していたのは、徹底して「神に仕える」(4節)という尺度をもっていたからでした。それなら、私たちはどういう尺度をもって生きているのでしょうか。                 

(牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

2021年7月11日(日)10:30~

 聖書 コリントの信徒への手紙二11章16~21節

 説教 「何を誇るのか」

​ ​牧師 藤塚 聖  

 本日は教会創立記念礼拝として守ります。1927年7月13日に伝道所が開設されてから、今年で94年になります。その間に複数の牧師が奉仕しましたが、牧師にも個性があるので、教会とうまくいかない場合もありました。これは特別なことではなく、どこの教会でもあることなので、仕方のないことだと思います。

 パウロとコリント教会との関係も、決して良好ではなく、両者の間の溝は時と共に大きくなったようです。それぞれ相手に対する不満がありました。教会側のパウロに対する不信感は、まず異邦人の多いコリント教会にユダヤ人の習慣を強要したことです。例えば、神殿から卸された肉の禁止(1コリ8章)、女性が教会で頭をおおうこと(1コリ11章)等々。他には、エルサレム教会のための多額の募金です。コリントの信徒にとっては大きな負担となり、パウロが私腹を肥やすためにやっているという誤解も生じました(12:16他)。そして不信の最大の理由としては、パウロは使徒として正式な資格を持っているのかというものです(3:1他)。確かに彼はイエスの直弟子でもなく、直接その教えを受けたわけではないからです。彼の復活体験も、弟子たちの体験から3年も経ってからです。またコリント教会にやってくる宣教師たちと、パウロの教えはかなり違っていたので、それも本物かどうか疑われる原因になりました。

 一方で、パウロにとって一番の不満は、教会から自分の使徒職が疑われていることでした。ざっくり言うと、コリント教会への数々の手紙は、自分の使徒職の正当性を訴えるために書かれたと言っていいかもしれません。それと、自分以外の宣教師に影響された信者たちの信仰を批判することでした。

 先週説明したように、10章から13章までは独立した別の手紙であり、コリント教会を訪問してその無理解にショックを受けて書いたものです。それだけに非常に怒っている印象です。本日の個所は、コリント教会の信者への皮肉です。彼らは特別な聖霊体験を誇りとしていたようです。彼らにとって霊を受けるとは、霊的な特殊能力を与えられて特別な人間になることでした。そうでないと立派な信者とみなされません。そこで、パウロはそういうことを誇るのは愚かなことだと言いつつも、一応その土俵に乗って議論を進めています。

 自分の苦労話しを自慢にする人はよくいますが、パウロも今までの伝道活動の中で、どれだけ命を削って来たかを強調しています(11:23以下)。まさにありとあらゆる苦難を経験して、それもこれも「キリストに仕える」ためだったというのです。それでも本当はそういうことを誇りたいのではなく、最終的には「誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう」(11:30)と言っています。普通なら自分の弱さは誇りにならないのに、あえてそうするということは、誇ること自体が愚かなことで、ばかばかしいということなのでしょう。霊的体験にしろ何にしろ、自分を自慢することの無意味さが言われています。

 その一方で、弱さを誇るとは意味があることかもしれません。自分の弱さと向き合いそれを認めることは中々出来ないからです。それが出来る人は、自我へのこだわりから解放された自由な人なのでしょう。

(牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

2021年7月18日(日)10:30~

 聖書 コリントの信徒への手紙二12章1~10節

 説教 「力は弱さの中で完成する」

​ ​牧師 藤塚 聖  

 

 パウロはコリント教会の高慢な人たちに対して、自分も伝道活動のために物凄い苦労をしてきたことをアピールしました(11:23以下)。ただしこれは自慢というより、相手の馬鹿らしさを指摘するためのものでした。そうは言っても、相手は自分の霊的体験を自慢しているので、パウロがズレているといえなくもありません。

 そこで本日の個所では、パウロも相手に合わせて、自らの霊的な体験をアピールしています。ただ、自慢することを愚かなことだと何度も繰り返したので、あからさまに言うのをためらったのか、自分ではなく別の人の話のように言っています。14年前に、天上の楽園、つまり神の傍まで行って、直接その声を聞いたというのですが(4節)、これはダマスコ途上の体験とは別のもので、パウロはこのような特殊な経験を何度もしているようです。それを神からの「啓示」とも言っています(7節)。

 7節以下によると、パウロは何らかの障害か病気に苦しんでいたようです。それ「とげ」と言っていますが、それは彼の「啓示」体験と深くかかわっているようです。つまり、病気に伴う発作か意識障害があって、その時の幻聴や幻覚を、神からの啓示と受け取っていたのだと思います。実際には、病気が原因で意識を失うほどの発作が時々起こっていたのですが、それをパウロの思いとしては、神の声を聞くという凄い霊的体験を繰り返していることに対して、自分が思い上がらないように、体に「とげ」が与えられたと理解したのでしょう。そう思わないと耐えられなかったのかもしれません。それでも、神体験は素晴らしくても、病気の苦しさは何とかしてほしいと何度も神に祈ったのでした(8節)。

 祈りへの答えは、「力は弱さの中で完成する」(9節)というものでした。パウロにとって、神の啓示を病の中で体験してきたからこそ、自らの病と弱さを神の力の現れる場所としてプラスに受け入れたのでしょう。こうしてみると、これらの言葉はパウロの特殊な状況から生まれたものですが、弱さの中に神の力が宿るというのは、彼の個人的な経験を超えて、普遍的な真理が言われていると思います。

 先週も言及しましたが、人は例外なく何らかの弱さをもっています。それでもそれを誤魔化すのではなく、きちんと向き合うのは本当の強さなのだと思います。また、人間同士が共感してつながり合えるのも、互いの弱さを通してなのでしょう。弱いところを思いやり、助け合って補い合って人はつながるのであり、逆にそれが強さとなると、つながるのではなくかえって反発したり競い合うことになりがちです。人がつながるには、弱さがそのカギになるわけです。そういうことからも、健全な社会というのは、誰もが生きやすい社会であり、何よりも弱者が優先される社会です。それが人間のもつ尊厳なのだと思います。

 そもそも、キリスト教の原点は、イエスキリストの十字架にあります。それは教理によって、死への勝利や罪の贖いなどに意味づけられていますが、現実としてその姿を想像するならば、弱さ以外の何ものでもないでしょう。パウロの見方もそうでした(13:4)。そういう弱さの中に何か大切なものを感じるからこそ、私たちには力となるのです。

(牧師 藤塚聖)

​​------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

2021年7月25日(日)10:30~

 聖書 コリントの信徒への手紙二13章5~10節

 説教 「信仰の中にあるか否か」

​ ​牧師 藤塚 聖 

​ 第二コリント書の10章から13章は「涙の手紙」といわれる別の手紙ですが、本日はその最後のところから学びます。見てすぐに気付くのは、「適格者」と「失格者」(5,6,7節)という言葉が繰り返されていることです。ある時期から、コリント教会では、パウロは宣教師資格をもたない「失格者」ではないかと言われていたようです。確かにイエスの直弟子ではないし、その言動にも接していないので、不信感を持つ者がいても仕方ないかもしれません。それに対して、パウロは今まで活動してきた自負があるので、疑う方がおかしいと思っています。そもそも信仰というものが分かっているのか、反省しろと言う気持ちなのだと思います(5節)。彼からすれば、コリントの信者たちが信仰と霊的体験を混同するので、ずっと怒っていたのでした。

 さて、コリントの信者たちのように、お前には信仰があるのかと問いただされるなら、私たちならどのように答えるでしょうか。真面目な人ほど、口が重くなるかもしれません。信仰があるとはどういうことなのか、改めて考えると難しい問いです。

 信仰があるのかないのか、その基準がはっきりしないと判断できないので、一応伝統的に言われていることを参考にしてみます。まず一つ目は、宗教儀式への参加です。簡単に言うと、本日のように礼拝に参加していることが信仰者の証明になるわけです。洗礼を受けていることも同様です。キリシタン迫害下で、外国宣教師や信者が命懸けでミサを守ったのは、それを神につながる唯一の手段と考えたからです。

 二つ目に、教会の中で大切にされてきた教えや教理を知って、それらをよく理解していることが信者の証だという意見もあります。世界には多くの宗教や哲学があるので、それらとキリスト教信仰はどこが同じでどこが違うのか、自分なりに分かっていないと、信じているとは言いにくいかもしれません。聖書をよく読んで、その内容に通じていることも、それと関係していると思います。

 三つ目として、自分の信仰に基づいて、どのような価値観を持ち、どのような生き方をしているかが、信仰者の指標になるという考え方もあります。今となっては笑い話ですが、ひと昔前は禁酒禁煙が信者になる条件としてありました。古い自分と決別する意味があったのでしょう。現代ではそのような個人倫理より、社会的な問題にどういうスタンスをとるかが重要かもしれません。その中でも、平和と人権は聖書の思想と深く関係しています。しかしながら、これらは夫々大切なことですが、自分の信仰の証明としてどれか一つでも徹底的に追求するなら、きっとパウロを苦しめた律法主義になるのでしょう。実際に第一はクリアしても、第二と第三はかなり怪しいのではないでしょうか。

 手紙の中で、パウロが本当に言いたいことは、自分の中に信仰の根拠を求めるというより、自分が信仰の中にいることに気付けと言うことではないでしょうか。ここで言う信仰とは、己の貧しい信心のことではなく、私と神との間にある根源的な信頼関係のことです。それは「イエスキリストがあなたがたの内におられる」(5節)と言い換えられています。つまり、この私がどう信じているか、どれほど熱心かということとは関係なく、神自らが私たちの信仰の根拠になっているということです。これほど確かで有り難いことは他にないでしょう。

(牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

2021年8月1日(日)10:30~

 聖書 コリントの信徒への手紙一5章9~13節、6章12~20

 説教 「イエスキリストに倣う」

​ ​牧師 藤塚 聖 

 

 パウロはコリント教会に沢山の手紙を書き送りました。第1書簡の前にも送っていて(5:9)、第2書簡は少なくても4通を合体したものです。そうすると6通以上は送ったことになります。これは両者が親密だったというより、関係がこじれてしまったために、その修復のため多くの弁明や説明が必要だったということです。また、何としても関係を維持しようと努力しているので、パウロにとっては重要な教会だったのでしょう。

 こじれた原因は両者にありますが、教会側としては、パウロが非ユダヤ人である彼らにユダヤ人の習慣を強要したことが大きかったと思います。それともう一つは、パウロとイエスの教えがあまりに違うので、パウロが宣教師として信用されなくなったことです。

 その典型として、パウロが不道徳な者との食事を禁止したことです(5:11)。コリントの信者は、そんな堅いことを言っていたら、世間一般の人と付き合えなくなると文句を言ったのでしょう。それに対して、パウロは禁止を教会内に訂正しましたが、一緒に食事するなという点は変えていません。その一方で、アンテオケ教会では、汚れた者とされる異邦人との食事を死守しようとしました(ガラテヤ2:11以下)。ある時は禁じて別の時は擁護する。ここにパウロの首尾一貫性のなさが表れています。それならばイエスはどうかというと、汚れて不道徳と見なされた人たちと積極的に食事をしました。そしてそれに文句を言う人たちを、厳しく批判したのでした(マルコ2:13以下)。

 娼婦といわれた人たちへの見方も、イエスとパウロとでは違いが際立っています。パウロは娼婦と関係を持ってはいけないと言いますが(6:15以下)、これは女性の人権を押さえた上での発言ではなく、売春婦を汚れた者とするところから来ています。つまり汚れに感染するなという訳です。逆にイエスは、そのように売春婦を人間扱いしない世間に異を唱えています(マタイ21:31)。いつの時代でも、そのような仕事にはやむに已まれぬ事情があるわけで、イエスは差別される側から発言し、パウロは差別を前提にして倫理道徳を語るのです。 

 その際に、引用されている創世記(2:24)も、使われ方がまるで違っています。パウロは「二人は一体となる」(6:16)ことを、単に性的な関係を持つこととして用いています。一方でイエスは、女性の生存権を奪うことになる離婚を禁止するために、この言葉を用いています。「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(マルコ10:9)というわけです。

 イエスとパウロは、物事をどこから見ているのか、立っているところがだいぶ違うのでしょう。それゆえに、決定的な局面での言動に当然ながら違いが生じるのでしょう。コリント教会にはパウロ以外の宣教師も来ていたし、生前のイエスを直接知っている信者からも話を聞いていたことと思います。コリント教会の信者たちが、パウロの教えはイエスと違うのではないかと疑いを持ったのは、誤解ではなくて的を射た見方だったかもしれません。

 パウロの手紙は聖書におさめられているので一つの権威になっています。しかしあくまでも一人の信仰者の貴重な発言として、是々非々で判断するしかないと思います。私たちはイエスをキリストと告白するのだから、その教えと生き方が生きる上での判断基準や指針になっていくのです。 

(牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

2021年8月8日(日)10:30~

 聖書 コリントの信徒への手紙一4章6~13節

 説教 「自分を踏み越える」

​ ​牧師 藤塚 聖

  

 本日の聖書箇所で、パウロは自分への批判を強める信者たちに対して、本当にそれでいいのかと訴えました。パウロからすると、彼らは自分への尊敬の念をすっかり失って、むしろ見下して蔑んでいるように思えたからです。

 詳しい事情は分かりませんが、信者たちはパウロから離れて別の宣教師アポロを評価しはじめたようです(4:6)。それで、パウロは二人の内どちらが良いか悪いかではなく、教会が成長するためには両者に夫々の役割があったと言っています(3:6)。また「満足する」、「大金持ちになる」、「王になる」(4:8)というのは、宗教的に円熟した状態を言うようなので、そこまで導かれたのは、だれのおかげだというのがパウロの本音としてあったのでしょう。

 古代では、競技場で死刑囚が殺し合い、それを見世物にする文化があったようです。パウロが自分をそれに例えるのはいささか大げさに思えますが(4:9)、それほど見下され貶められることにえられなかったということでしょう。その後に続いている言葉も、自分の今までの働きが顧みられることなく、不当に評価されていることへのひがみと嘆きの言葉です。人から世のクズ、カスとされているということが、もし本当ならば耐え難いことです。

 ここまで読んでみて、パウロに同情しつつも改めて思うことは、イエスキリストがまさにそうだったということです。十字架というのは見世物どころか見せしめであるし、弟子に裏切られ、人々にののしられ、その最後は本当に世のカス、ゴミとして打ち捨てられました。その有様を見た百卒長が「本当にこの人は神の子だった」と言うのがマルコ福音書の不思議なメッセージです(15:39)。でもこの非常識さの中に重要な意味があるように思います。

 不当に貶められることに、パウロも私たちも耐えられません。だからルカ福音書は最後まで聖人のイエスを描き、マタイ福音書は死の直後の奇跡を描きます。それなら神の子と言えるからです。つまり無残にも野垂れ死にした人を神の子だとはとても言いにくのです。それと同じで、私たちは自分を無にしたり、へりくだることは凄く苦手なのですが、聖書ではそれとは全然違うことが言われています。その意味では、パウロ本人は不本意でも、神の子にされているのかもしれません。

 8月は、平和について思いを深める季節です。イエスは「平和を実現する人は幸いである。その人は神の子と呼ばれる」と言いました(マタイ5:9)。本当に平和が実現するところでは、人は必然的に神の子になっているということです。でもその神の子とは、徹底的に低くなることと無縁ではありません。私たちがイエスやパウロのようになるのは無理でも、少なくても低く謙虚でありたいと思います。

 国際社会のありようを見ても、財や力では決して平和問題は解決しないでしょう。どんなに理不尽でも、対等な話し合いしかありません。どんな相手に対しても、下にならないまでも、決して上にならず、敬意を忘れないことです。ドイツ首相のメリケルさんは、今年9月に在任16年で引退します。自国中心に傾く国際政治において、力による分断と対立ではなく、対等な関係での話し合いと協調を貫いたことに、平和への希望を見る思いがします。

(牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

2021年8月15日(日)10:30~

 聖書 ガラテヤの信徒への手紙1章1~5節

 説教 「人を通してでもなく」

​ ​牧師 藤塚 聖

  

 日本社会は議論がとても下手です。ちゃんとした議論は大切なのに、同調社会なので意見の違いを嫌います。子供の頃からのトレーニングがないことも原因だと思います。全会一致や上の意向を忖度するというのは不健全な証拠であり、圧力がかかっているとしか言えません。もし正解というものがあるのなら、議論する中で歪みや間違いが正されて、より正解に近づけるのだと思います。

 ただし、最初から完全な正解というものあるのではなくて、議論の中でよりベターなものを選び取っていくということなのでしょう。それは神の真理についても同様であり、真理そのものを手にしたと思うのは幻想であって、意見のぶつかり合いの中で、前より少しは真理に近づけるということなのでしょう。パウロのとらえた福音も、それに反対する者たちとのぶつかり合いの中で徐々に明確になったと思います。

 イエスの直弟子たちが作った最初の教会は、ユダヤ教とほとんど変わらず、ナザレのイエスをメシアとする少し変わった宗派とみられていました。弟子たちは神殿や律法に疑問もなかったので、イエスを本当には理解していなかったのでしょう。しかし教会内には、イエスの福音は古いユダヤ教と違うことに気付いた人たちもいました。彼らはギリシャ語が母語なので、外国文化にも触れてユダヤ教の偏狭さに疑問を持っていたのです。弟子中心の保守派とギリシャ語を話す改革派の対立は次第に大きくなって(言行録6:1以下)、最終的に改革派はエルサレム教会から排斥されました(同8:1以下)。その立場は、伝統ではなくイエスの言動から信仰を見直すというものです。従って彼らは古いユダヤ教との対立の中で、自分たちが死守すべきものが何かをつかみ取っていったのだと思います。パウロも彼らから大きな影響を受けました。

 さて、パウロは手紙の冒頭で、自分を「使徒」と記しています(1節)。通常なら「使徒」はイエスの直弟子と彼らから任命された人に限られてい

ました。それなのに、パウロは反発を覚悟でこの肩書を使用しています。イエスの弟子たちは、無資格のパウロがこの肩書を使っていることに憤慨したことでしょう。パウロが意図したことは、有資格者や権威者であってもその人が正しいとは限らないということです。逆に、パウロの主張することはたとえ正しくても、無資格だから間違っていると見なされたのでした。とにかく資格がものを言い、間違ったものでも一つの権威になってしまうのです。そしてその間違いさえも権威ゆえに重んじる信者も出て来たようです。

 しかしながら、教会の権威や資格なるものは決して固定化されるものではありません。キリストの福音に沿うように常に正されねばならないでしょう。そうでないならそれらは弊害でしかありません。パウロは、エルサレム教会や直弟子たちからは任命されていないけれども、直接キリストから派遣されているという強い自覚がありました。それで自分の資格は「人を通してではない」という発言になっているのです。

 さて、私たちの信仰は何から影響を受けているのでしょうか。出会った教会やその牧師でしょうか、受けてきた信仰教育でしょうか。それらが間違った権威になっていないか、本当にキリストの福音に沿っているのか、きちんと自分で見直すことが出来るようになりたいものです。

(牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

2021年8月22日(日)10:30~

 聖書 ヨハネの手紙一4章7~12節

 説教 「神は愛である」

​ ​牧師 藤塚 聖

 8月17日に、妻の天満由加里さんはこの世での59年の人生を走り抜けて、神のもとへ帰って行きました。

 略歴から分かるように、彼女は幼児教育に使命感を持っていました。大学卒業後は幼稚園で嬉々として働いていたのに、結婚を機に、その仕事を中途で辞めざるをえなくなり、大いに不完全燃焼だったと思います。そこに転機が訪れました。福岡県にいた先輩牧師が教会幼稚園の園長をしないかと声をかけて下さったのです。彼女は自分の夢を実現するまたとないチャンスと見て、理想に燃え期待に胸膨らませてそこに着任しました。しかし現実は甘くはなく、当時の園長との確執によって、3年でそこを去ることになってしまいました。きっと人生で一番の挫折だったと思います。教会や信仰への疑問、深い人間不信によりどん底に落ち、この先どうなるのかと心配していましたが、ある修道院長のシスターとの出会いが、彼女を再び信仰の道へ押し出すことになりました。ある日突然「神学校へ行って牧師になる」と言い出して驚きましたが、私としては全く違和感はなく、ついに来るべき時が来たと思いました。というのも彼女は凡夫の私などよりはるかに牧師に向いた人だったからです。深い思いやりを持ち、嘘がなくまっすぐで、優しさと厳しさを兼ね備えた人でした。

 彼女が学んだのは東京の町田市にある農村伝道神学校です。最も低い視座から社会と信仰を考える、まさに低き道を歩んだイエスキリストの生き方を志向している神学校です。かつて彼女の祖父も入学志望だったことが後に分かりました。期せずして孫娘が祖父の夢を叶えることになったのは、不思議なめぐり合わせとしか言えません。

 卒業後は二つの教会を歴任して14年間牧師として勤めました。会員と真っすぐに向き合い、そこには嘘偽りがないので信頼されました。彼女は人とのつながりを本当に大事にしていました。会員を愛して心を配り、その愛はことさら自分の親、弟妹、甥姪に深く注がれました。ドライな私からすると暑苦しい位です。しかしそれは血縁が理由というわけではなく、古くからの友人知人との親しい交流もずっと続いていました。つまり彼女は人とのつながりを信じてそれを本当に大事にしたのだと思います。

 また常に人の為に何かしたいと考える人でした。兵庫県で牧師在任中に、過労のために一年間休職したのですが、その時もゆっくり休養に充ててもいいのに、志と向上心が旺盛なので、「死生学」や「グリーフケア」を学ぼうとしました。「いのちの電話」の相談員資格はタイムスケジュール的に無理でも、「犯罪被害者相談員」の資格は何とか取得したのです。刑務所の受刑者のために教誨師をやりたいと言うのも驚きでした。

 彼女のこのような人柄は、きっとその信仰から来ていたのだと思います。その語る説教はどこをとっても神の愛です。そのイメージは、どこまでも無条件にわが子を愛する慈悲深い母親の姿です。神の無償で無条件の愛の内に私たちが確かに包まれているからこそ、人と人は愛し合えるというのが、彼女の信念かもしれません。だから人から愛され人を愛することが心からの喜びだったのでしょう。神の愛を素直に信じて、自らその様に生きたのが彼女の人生でした。

 彼女の向上心や意欲からすれば、59年は余りにも短く思えます。やり残したことも沢山あったでしょう。しかし神様は、あなたはもう十分やったから帰って来なさいと呼び戻されたのだと思います。全力疾走で人生を走り抜けて、今は神様のもとで、あの優しい笑顔で私たちに向かって頑張れと応援していると思います。

(牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

2021年8月29日(日)10:30~

 聖書 ガラテヤの信徒への手紙1章6~10節

 説教 「福音にならない福音」

​ ​牧師 藤塚 聖

 

 パウロは幾つもの手紙を書き残しており、その書き方には一定の形があります。まず最初に差出人の名前とその受取人の名前があり、次に相手に対する祝福の言葉、その後に感謝やねぎらいの言葉が続きます。しかしこの手紙では感謝の言葉はなくて、いきなり本題に入り、しかも相手に対する強い非難の言葉から始まっています。

 「わたしはあきれ果てています」(6節)というのは、あきれて開いた口が塞がらないという感じでしょうか。それほどまでパウロを失望させたのは、信者たちがパウロの教えから離れて別の教えに乗り換えたからです。彼の教えは、民族や性別という人の側の事情に一切関わらずに、人はキリストによって神の子だというものでした(3:26以下)。簡単に言うと、人は誰であれ例外なく神に愛されているということです。しかしユダヤ人にとってこれは絶対に認められないことでした。律法を守る自分たちだけが神に救われるのであって、律法無視の異邦人も同じとはとうてい思えなかったからです。

 この考え方は、保守的な信者を通して教会にも影響を及ぼしました。保守派は「キリストの恵みは絶対だ、しかし幾つか律法も守るべきだ」と言うのです。これだけ見るとパウロの教えとの間に大きな違いはなさそうですが、このようにほんの少しでも条件が加わるならば、神の愛は無償で無条件ではなくなってしまうのです。

 どうしてこうなるのかというと、人間社会は条件や資格がいつも問われ、誰でも無条件でとはならないからです。人は物心ついた時から人と比較され、学校教育で選別され、職業により格付けされます。そういうシステムが体に染み込んでいるから、資格や保証がないと安心できないのです。ガラテヤの信者も、神の愛を完全には信じ切れないので、自分の努力を救済の保障にしようとしました。またその方が世間の常識に合っているように見えたからです。

 さて、これらを踏まえて私たちの問題として考えてみましょう。まずパウロの「信仰義認」は神の恵みに信頼するという意味なのですが、現代の教会では、私たち自身の信心によって救われるという意味に置き換わっています。しかし、これでは信仰するという人間の行為が救済の条件ということになるので安心できません。つまり人間の信心など当てにならないので、いつも自分の信仰の不完全さが心配の種になるのです。何十年も信仰生活していながら、本当に神に愛されているのか、救われているのか確信が持てないのはここに原因があるのでしょう。つまり喜びそのものであるはずの「福音」が全く「福音」になっていないのです。

 パウロの福音は、人の事情一切に関わりなく神の恵みは万人に及ぶというものなので、彼の言葉を言い換えるならば、「信者も未信者もない、キリスト教徒も異教徒もない、異性愛者も同性愛者もない、誰もが例外なく神に愛されている神の子だ」ということになります。こうなると、現代の教会もその信仰も、その存在意義を新しく問い直されることでしょう。

 ここに至って私たちは、ああ良かったと思うのか、こんな風に何でもありでは困ると戸惑うのかどちらでしょうか。パウロの福音とほかの福音の違いはここにあるのです。

(牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

2021年9月5日(日)10:30~

 聖書 ガラテヤの信徒への手紙1章11~17節

 説教 「イエスキリストの啓示

​ ​牧師 藤塚 聖

 

 パウロが伝えた福音は、誰もが無条件にキリストにつながり神の子であるというものでした(3:26)。言葉を変えるならば、信者も未信者も、キリスト者も他宗教者も皆が例外なく神に救われているということです。これには昔も今も色々な反発があり、みな一緒ならキリスト信者である意味がないとか、教会に繋がる意味がないとか反論が出てきます。教会史上では、「教会の外に救いなし」、「キリスト教の外に救いなし」などと言われてきました。しかし教会や信仰の存在意義は新しくとらえ直されるべきでしょう。

 このように、パウロは神による他力救済を語って自力救済を否定したのですが、反発されて、教会指導者や保守的な人たちからは、彼は資格のない偽物の宣教師だと非難されました。それに対する反論が、本日の聖書箇所に書かれています。彼は自分の福音は、「人から受けたのでも教えられたのでもない」と言います(12節)。当然ながら旧態依然としたイエスの弟子たちからは、パウロの福音のような革新的なものは期待できなかったことでしょう。その一方で、自分の受けた福音は、「イエスキリストの啓示によって知らされた」と言います。「啓示」は隠されていた真理が開示されるという意味なので、パウロはそれをイエスキリストの出来事から知ることになりました。

 それならば、その出来事の内容はどういうものだったのでしょうか。ユダヤ教徒の時の彼の生き方は、律法によって徹底的に自分を高めることでした。それは苦しくもあり生き甲斐と誇りでもありました(14節)。そこで出会ったのがイエスの十字架でした。彼がそれをどのように捉えたか詳細は分かりませんが、自我が完全に崩壊して、結果として神の無償の赦しに自分を委ねることになったのです。その表現方法としては「贖罪論」や「神の愛の貫徹」など色々ありますが、とにかく自分磨きが何の意味もなくなり、神からの一方的な赦しと救いしかないと悟ったのでした。

 さて、この「イエスキリストの啓示」は、パウロだけの特殊な体験ではなく、中途半端な弟子たちだってイエスの出来事から何かを受け取っていたのです。それがどういうものだったのかは、それぞれに受け止め方が違ったというだけです。弟子たちにとっては、ユダヤ教徒のときとそれほど大きな変化は生じなかったのですが、パウロにとっては決定的な違いがあったということです。同じものを見ていながら受け止め方が違うのは、それぞれ個性や考え方の違いがあるので仕方のないことです。

 それなら私たちは、イエスの出来事から何を学んでいるのでしょうか。弟子たちの信仰でも、パウロの信仰でも、とにかくそれで本人が本当に救われているかどうかが肝心なことです。せっかく信仰を与えられているのに、それが自分や回りに喜びをもたらし幸せにしていないのならとても勿体ないことです。よく考えてみないといけません。信仰とは、この私を全てのものから解放して真に自由にするものだからです。

「そして真理は、あなたがたに自由をもたらすであろう」(ヨハネ8:32) 

(牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

2021年9月12日(日)10:30~

 聖書 ガラテヤの信徒への手紙2章1~10節

 説教 「神の教会を信じる

​ ​牧師 藤塚 聖

 

 紀元49年頃に、「使徒会議」という会義がありました。これはエルサレム教会とアンテオケ教会に考え方の大きな違いがあり、それを話し合うために開かれたものです。このことからも、教会というのは最初から決して一枚岩ではなかったことが分かります。

 使徒言行録の著者ルカは、教会の歴史を理想的に描いて、対立の部分を意図的に伏せました。そのせいで、私たちはエルサレム教会の信仰が何の問題もなく各地に広がった印象をもつのですが、実際は多様な教会が信仰を巡って対立しながらせめぎ合っていたのでした。その信仰も最初から正解があったわけではなく、論争や対立を通して余計なものが淘汰され、少しずつ形になっていきました。つまり神の真理に近づくためには、このような摩擦や反目は避けられないということです。

 その会議の中で、パウロは自分の意見を述べました。エルサレム教会は福音をユダヤ教の枠の中に留めるのに対して、異邦人教会はそのような縛りがないので、キリストの福音の本質を突き詰めて考えることが出来たのです。パウロは試金石として、ギリシャ人のテトスを同伴しました。エルサレム教会は汚れを恐れてテトスを拒み、一部の強硬派は彼に割礼を要求したようです(4節)。パウロたちの抵抗によりそれは回避されましたが、承認されたわけではなく、会議の混乱を避けるために不問に付されたということでしょう。

 6節以下に会議の結果が記されています。パウロたちの異邦人伝道に一定の理解が示され、両者の住み分けが確認されました(7節)。またエルサレム教会への献金もこの時に決められたようです(10節)。しかしこれはあくまでもパウロの受け取り方であって、エルサレム教会側は違うように認識していたかもしれません。というのは、言行録には幾つかの律法が義務化されたと記されているからです(15:20)。おそらく、会議の結論というのは厳密ではなくて、とにかく決裂させないために曖昧にしたのでしょう。だから、自分たちに都合の良いように受け取ることが出来たと思われます。しかしそれが後に問題を引き起こすことになりました。

 この会議からほどなくして、アンテオケ教会で行われていたユダヤ人と異邦人の合同食事会が存続できなくなりました(2:13)。つまりエルサレム教会は、たとえ異邦人教会であっても、その中のユダヤ人は律法を守る義務があると考えたのです。パウロたちはそのようには考えませんでした。このように両者の間には認識のずれがあったのです。

 さて、パウロにとってはキリストの福音に律法は必要ないものでした。そうでないと、福音は福音にならないと考えたのです。そして別の福音を語る者は呪われるべきだとまで言いました(1:8)。このように、パウロにとってそこは絶対に譲れない部分でした。

 その一方で、現実にはエルサレム教会のような保守的な教会も存在していました。それはパウロから見れば大いに問題があるのですが、それでも教会でないとは言えません。この二つの現実を私たちはどう考えるべきなのでしょうか。自分自身の確信を持ちながらも、別の信仰のあり方に対しても聞く耳を持つべきだということでしょうか。信仰というのは、この微妙なバランスの上に成り立っているものなのかも知れません。 

(牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

2021年9月19日(日)10:30~

 聖書 ガラテヤの信徒への手紙2章11~14節

 説教 「真理は細部に宿る

​ ​牧師 藤塚 聖

 

 前回お話したように、使徒会議の結論は曖昧だったので、すぐに問題が生じました。パウロたちは何も要求されなかったと思っていたのに、エルサレム教会は、たとえ異邦人教会でも、その中のユダヤ人は律法の義務があると考えたようです(言行録15:20)。その認識の違いが、アンテオケ教会の中に大きな亀裂を生むことになりました。

 一般的に、ユダヤ人は異邦人と同席することを拒み、ましてや食事など論外でした。しかしアンテオケ教会では、それを克服するために合同食事会を行っていました。それを見たペテロも、最初は驚きながらも参加するようになりました。彼は罪人と楽しく食事するイエスを傍で見ていたので、保守派ほど抵抗はなかったと思います。しかし後の行動を見ると、それが彼の確信にまで至ってないのが分かります。彼はそれ以前から、異邦人に対する偏見を克服しつつありました。イタリア隊のコルネリウスを訪ねたのも、大きな出来事だったと思います(言行録10章)。しかしユダヤ人社会と対立することは避けたのでした。

 アンテオケ教会の視察のために、エルサレム教会から保守派が訪ねて来た時に、ペテロは保身のために合同食事会を避けるようになりました。異邦人との同席は律法に抵触するからです。このとき、彼はエルサレム教会のナンバー1の地位から下りていましたが、それでもイエスの直弟子としての知名度は抜群です。そのペテロが食事会を回避することは、他のユダヤ人信者に大きな影響を及ぼしました。みなペテロに同調したのです。またバルナバまでもが保守派との対立を避けるために、食事会に出なくなりました。

 このままだと、混成教会のアンテオケ教会は分裂してしまうので、パウロは皆の見ている前でペテロの間違いをはっきりと指摘しました。つまり、彼の態度は、結果として異邦人に律法を強要することになると(2:14)。この出来事をきっかけに、パウロはアンテオケ教会を去ることになりました。つまり彼への支持は思ったほど広がらなかったことになります。律法からの解放というのは、想像以上に難しいものだったのでしょう。 

 それでも、パウロが自分の首をかけてまで、福音の本質をはっきりさせたことは、後の私たちに大きなメッセージを残してくれました。つまりキリストの福音とは誰が何と言おうと完全な恩恵であって、そこでは人の行いは意味をなさないということです。そこに人の行いが僅かでも必要となると、福音が福音でなくなってしまいます。本当に些細なことに見えても、そこには決定的な意味があるのです。

 西洋の格言で、「神は細部に宿りたもう」というのがあります。私は哲学者の久野収氏の評論集でこの言葉を知りました。きわめて細小なことが全体を成り立たせるという意味です。きっと神の真理というのは、誰が見てもそれとすぐに分かるものではなく、余りにも些細なので、人はすぐに見落としてしまうのでしょう。そうならないためにも、曇りのない目できちんと見て、福音の中心をしっかりとつかんでいきましょう。

 (牧師 藤塚聖) 

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

2021年9月26日(日)10:30~

 聖書 ガラテヤの信徒への手紙2章15~18節

 説教 「イエスキリストの信仰

​ ​牧師 藤塚 聖

 

 本日の聖書個所は、パウロの信仰内容を知る上で最も重要な部分です。まず「義とされる」というのは、法廷用語なら無罪とされることであり、もっと広げると、神に救われることを意味しています。どうすればそうなるかというと、旧約聖書によるならば、神との契約である律法を守ることが条件です。

 しかしながら、律法は建前では聖なるものですが、実際は宗教権力者が人々を支配する手段になっていました。つまり人を幸福にするより、縛って自由を奪っていたのです。イエスはそのような律法主義が神の愛からかけ離れていることを指摘して、その偽善を厳しく批判しました。そして律法に照らすならば絶対に義とされない罪人こそが、宗教指導者より先に神の国に入ると宣言したのです。そのために社会秩序を乱す者として、イエスは逮捕されて処刑されたのでした。

 律法に対する考え方は、イエスとパウロでは相当に違います。イエスは現実の律法がその本質から大きく外れていることに厳しい批判を持っていました。一方でパリサイ派のパウロは、律法を聖なるものと信じて疑いませんでした。ただしそのパウロも、律法をどれだけ熱心に実践しても平安はなく、むしろ理想と現実の間で苦しみ、自己分裂したのだと思います(ローマ7:24)。そのような自分の苦しい経験を通して、人は律法によっては義とされないという結論に至ったのでしょう。つまり、彼は自分で自分を救済することには完全に絶望して、神に許してもらうしか道はないと思ったのです。ある意味でパウロは、人間というものをその可能性も限界も含めて徹底的に分析していたことになります。

 さて私たちは自分をあまり掘り下げないので、パウロほど自分に絶望してはいません。だから努力した人はそうでない人より立派なので、報われるべきだと単純に考えます。そうでないと努力の意味がなくなり、みな向上心を失うと思うのです。そういう発想が信仰にも入り込んでいて、信仰する者が救われて、そうでない人は救われないのは仕方がないと考えます。信者も未信者も同じなら、信仰する意味がないというわけです。 

 しかし本当にそうなのでしょうか。そういう考え方が聖書翻訳にも影響を及ぼしました。「キリストへの信仰によって義とされる」(2:16)というのは、私のキリスト信仰が義とされる条件ということになります。努力した人が報われるのと同じです。しかしこれでは、人のやるべきことが替わったにすぎません。パウロは自分の行い自体に絶望したはずです。

 最新の聖書協会訳では、「キリストへの信仰」は「キリストの信仰」となり、原文に忠実になっています。私の信仰ではなくキリストの信仰により、私が救われるという訳です。パウロは自分に徹底的に絶望していたのだから、自分の信仰をあてにするはずもなく、キリストの信仰にお任せするしかなかったのです。

 自分のことを振り返ってみましょう。私たちは救われたいから信者になったのではありません。キリストの信実によってすでに救われていると知り、私たちはそれを喜んで受け入れたのです。その点では、信者も未信者も救われていることに違いはありません。しかし、だからと言って信者である意味がないのではないのです。救われていると知って生きるのと、知らないで生きるのとでは、生き易さの点で大きな違いがあるのではないでしょうか。

(牧師 藤塚聖) 

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

2021年10月3日(日)10:30~

 聖書 ガラテヤの信徒への手紙2章19~21節

 説教 「私のエゴの死滅

​ ​牧師 藤塚 聖

 

 パウロは自分の体験によって、律法によっては救われないという確信を持ちました。必死になって律法中心の生活をしていても、平安はなかったのだと思います。しかしキリストに出会ったことで、それまでの生き方を転換することが出来ました。それを「律法に対しては律法によって死んだ」と表現しています(19節)。そしてどうなったかというと、「生きているのはもはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです」と言います(20節)。つまり古い自分が死んで、新しい自分が生きているという強い実感だと思います。

 パウロにとって、律法は彼の誇りや生きがい、存在の拠り所みたいなものです。だからそれを捨てるなど考えられないことでした。私たちにとって、それに該当するのは何でしょうか。自分の家族や友人関係でしょうか、人生で築き上げた価値観でしょうか。それを捨てるのは、自己否定になるので絶対にできないことです。

 前にも紹介した話ですが、自分に死ぬということで、思い出す一人の方がいます。この方は年齢がいってから、それまでの安定した仕事を辞めて献身しました。しかし神学校は年齢等を問題視して、卒業資格を与えませんでした。その結果、牧師でなく信徒伝道者として自給伝道を始めたのですが、肉体労働をしながらの伝道は厳しかったと思います。結果としては、教会を形成するに至らず、郷里に帰ることになりました。元々は無牧の母教会のために献身したのですが、そこに戻ることはありませんでした。資格のないままでは関われないと考えたのでしょうか。また教会に戻ることは、それまで頑張ってきた自分の人生を否定することになると思ったのでしょうか。

 私は、もしもこの方が自分の誇りや苦労を相対化できたのなら、牧師の資格はなくても一信者として、喜んで教会に奉仕出来たのではないかと思います。きっとこの方にとって、苦労してやってきたことが自分の存在証明だったのでしょう。それを捨てることは自分の人生を否定することになってしまいます。しかし、それでも言えることは、パウロはそれまでの自分に死んだということです。つまりそれまでの自分を全否定したのでした(フィリピ3:8)。

 律法というものを言い換えるならば、自分の力で自分であろうとするあらゆる試みといえるでしょう。自分の中の何かによって自分を肯定することです。例として人との比較があります。人よりここが優れているとか、人にないものを持っているとか。でもそれを失うならば、その人の存在意味は無くなるのでしょうか。あるいは、自分の心の支えというものが、情熱を注げる仕事とか、自分に与えられた使命とか、人から必要とされることであるなら、それを失ったときには、存在価値はなくなるのでしょうか。このように自分の中に根拠を求めるのならば、きっとどこかで破たんすることでしょう。

 その点、パウロは自分の外に、自己肯定の根拠を見つけました。それが「私のために身を捧げられた神の子の信実」(20節)です。簡単に言うなら、私たちに対する神の愛です。こうなると何も怖くありません。私の中には何もなくてもいいからです。それが分かったから、パウロは律法に対して律法に死ぬことが出来たのでしょう。自分の中ではなく外にあるから大丈夫だと、そう思えるようになりたいものです。

(牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ 

2021年10月10日(日)10:30~

 聖書 ガラテヤの信徒への手紙3章1~6節

 説教 「二つの生き方

​ ​牧師 藤塚 聖

 パウロはキリスト教の基礎を築いた人なので、教会史上最も重要な人物だと言えます。そのために、教会の中にはパウロを批判してはいけないという暗黙の了解があるように見えます。しかしながら、聖書学の進歩もあって、パウロの限界や問題性を指摘する声も聞こえるようになりました。これは当たり前のことであって、パウロがどんなに偉い人であっても、人間である以上完全ではないし間違いもあるはずです。一人の思想家として、是々非々で見ていくことが必要だと思います。

 最近は修辞学的分析というのがトレンドのようで、パウロの発言を弁論や演説の観点から分析すると、自分の主張を有利にするために極論を用いたり、相手の意見を歪曲する面もあるようです。つまりパウロの相手への非難は鵜呑みにできないということです。パウロ以外の宣教師はみな偽物という思い込みは修正されるべきでしょう。

 ガラテヤ教会も、最初はパウロの福音に共感しました。十字架のキリストによって、自分がありのままで赦されているという、自己肯定の根拠を与えられたからです(1節)。しかし保守派の宣教師たちが、救済は十字架で始まり律法で完成すると説いたようです。つまり十字架は絶対条件だけれども人の努力も必要だということです(3節)。信者たちは神の恵みに信頼はしても、それだけでは何となく心もとないので、幾つかの律法を実践するようになったようです。その方が常識的だし、やっている感もあり、手ごたえがあったのかもしれません。

 さてここで考えたいことは、私たちの信仰というのは、パウロというよりもガラテヤ教会の保守派の人たちに近いのではないかということです。救済されるのはクリスチャンだけに限定して、キリストの信実に信頼するだけでは不十分と考えて、神への応答として教会生活を守り伝道しなければ、一人前の信者ではないと思っているからです。これは、やはり自分の中に保証が欲しいということです。努力や資格が保証してくれるように思うのです。しかしその保証は自分の中には絶対にないことを、徹底したのがパウロでした。

 神の救済の根拠と保証は、外から来るのか、自分の中にあるのか、それをどう考えるかによって、人間をどう理解するか、人生をどう考えるか、全く違ってくることでしょう。

 少し角度を変えてみるなら、私たちは何によって自己肯定しているかということです。自分の中にある何かによってそうしているなら、もしそれが無くなった時どうなるのでしょうか。それよりも、外から与えられるものが、私を成り立たせていると思う方が気楽ではないでしょうか。それは私がどうあれ愛されているとか、赦されているとか、配慮されているとか、そういうものの全体が、私を有らしめているのです。

 信者であること、真面目に生きること、それ自体は尊いことです。しかしそれが救済の根拠ではありません。根拠はいつも外から与えられます。

最近私がつくづく思うことは、人が健全に活きるためには、自分を支えるものを自分自身の中に持つのではなく、外に持つことなしにあり得ないということです。自分の外の地面の上にしっかりと立つとき、本当の平安を与えられるでしょう。

(牧師 藤塚聖) 

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

2021年10月17日(日)10:30~ 特別伝道礼拝

 聖書 ルツ記1章1~7節

 説教 「人生のトンネルを越えて

​ ​牧師 渡部静子(宇都宮松原教会)

 昨年からのコロナ禍の中で私たちは閉塞状態にあります。このトンネルはいつまで続くのでしょうか。今、世界全体がコロナ禍というトンネルの中にいると言えるでしょう。そして、人は、個人としても、生涯の中で何度もトンネルの状態、苦しみ、先が見えない苦難というものを経験するのです。その時、私たちはどのようにして乗り越えていくのでしょうか。

 今日はルツ記を通して学びたいと思います。ルツ記もまた、その生涯の中でいくつものトンネルを越えて歩んだ人たちのことを記していると言えるからです。

 まず、ベツレヘムに飢饉があったというのです。それで、一つの家族がベツレヘムからモアブの地に移り住んで行きました。夫の名前はエリメレク、妻の名前はナオミ、彼らには二人の男の子がおりました。

 モアブの地で食べ物に困らなくなったのもつかの間、妻のナオミは第一の悲劇、夫の死に直面します。大黒柱を失ったナオミにとって、これは大きなトンネルの時であったでしょう。それでも、子育てに支えられ、子育てに希望をつなぎ、やがて二人の男の子にそれぞれモアブの女を妻として迎え、10年程は順調な日々を過ごすことができました。しかし、間もなくナオミに第二の悲劇、息子たちの死が訪れます。しかも、子どもも生まれないまま先立たれたのでした。これはナオミにとって、先のトンネルにまさる、さらに大きく長いトンネルの時でありました。

 周りに親戚もなく、モアブ人の間で孤独だっただろうナオミは故郷に帰ることにします。その時、ナオミは嫁たちの今後を考えて、実家に帰り、そこで再婚するように勧めます。ナオミの説得に嫁の一人は従いますが、もう一人のルツはナオミから離れません。「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神」という信仰の確信を与えられていたからです。

 ベツレヘムを出るときは4人の家族だったのに、戻って来たときは女二人、しかも、外国人の嫁と一緒という、ナオミにとってどんなに辛い帰郷だったでしょうか。けれども、このルツはボアズという再婚相手を与えられ、オベドという男の子を与えられるのです。そして、オベドの孫がダビデであり、さらに、その系図はイエス・キリストに至るのです。

 神から見捨てられていると思われていた外国の女ルツが、ダビデの系図、さらに救い主イエス・キリストの系図に連なる者とされた、何という不思議な神の導きでしょうか。けれども、それはここに出てくる登場人物には見えてはいないことでした。

 私の友人に生涯インドで農業宣教師として仕えた人がいます。インド人自身が自分たちの村や地域を良くしていく担い手となることを願って、労苦しているのですが、彼らは少し学問をすると自分の村から出て行き、ホワイトカラーの仕事を選ぶというのです。空しくなりませんか、と聞いたことがあります。その時の答えはこうでした。「私は神の歴史のひとこまを生きているのだ」。自分の代で全部を完成させてしまうことはできない。まして、神の救いの歴史の全体を見ることもできない。しかし、救いの歴史に連なっているひとこまを、精一杯歩んでいるのだというのです。

 本当にそうだと思いました。私たちも、生涯の中で無意味に思えるトンネルの時も、それを越えた先に見えるものがある。さらに確かな神の救いのご計画を信じて、今を、できる精一杯のことをしながら従って行くものとされたいと願います。     

(宇都宮松原教会牧師 渡部静子)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

2021年10月24日(日)10:30~ 

 聖書 サムエル記上1章1~28節

 説教 「心の願いを知る祈り

​ ​牧師 北川裕明(東京中会教師)

 人はそれぞれに、願いが叶えられることを祈願する。試合をひかえた選手たち。投票日を前にした候補者。病の中にある患者…。

本日はサムエル記上1章を通し、私たちの「祈り」について洞察したい。

聖書の中には「胎を閉ざされた」(5節)、即ち子供が授からないことを巡って展開されるストーリーが、度々出てくる。アブラハムとサラを始め、イサクとリベカ、ヤコブとラケルと、三代続く。新約においても、洗礼者ヨハネ。イエスに至っては、出産の可能性など超越した「受肉」と意味付けられたストーリーが記される。

 ハンナの出産エピソードをたどってみたい。

 夫エルカナには、ハンナとペニナ、二人の妻たちがいた。ペニナには息子たち、娘たちがいたが、「主はハンナの胎を閉ざしておられた」(5節)。「ハンナを敵とみるペニナは、主が子供をお授けにならないことでハンナを思い悩ませ、苦しめた」(6節)。夫は不妊であることを意に介さず、ハンナを慰め支えていた。年に一度、主の家でいけにえを献げ、礼拝をするため、一堂に会する日がやってきた。今年もハンナはペニナのいじめに耐えかね、一人、神殿で「悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた」(10節)。祭司エリから酩酊状態だと誤解される程、「主の御前に心からの願いを注ぎだし」(15節)祈った。

 その直後、不思議なことに「彼女の表情はもはや前のようではなかった」(18節)と記されている。それから、一年の内に、サムエルを出産する。やがて、乳離れしたまだ幼い我が子を、主にささげたものとして、祭司に託すのであった。

 「子どものいない女性が子どもを授かりたいと祈願し、与えられた出来事」と、まとめてしまえば間違いではない。しかし、例えばアブラハム物語では、やっと授かった愛する独り息子イサクを手離す(献げる)ことを命じられた。その解釈には幅があることと思うが、家を継ぐ者として、即ちアブラハムが願い期待する役割を担う人材としてのイサクということに対する“否”が突き付けられたのではないか。 

 ハンナの場合、主に祈った「心からの願い」とは何であったのか?11節に注目してほしい。「誓いを立てて言った。万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげします。」

 彼女は苦しみ困乱する祈りの中で、「何故、自分は子どもを願うのか?」という根源的な問いかけに向きあわされたのではないか。当然、ペニナへの対抗心もあっただろう。子どもを産めない妻という立場を返上したいということもあっただろう。だが、彼女は、男の子を授けられることは、主が私の苦しみを知り、御心に留め、私のことを忘れていないしるしであると受けとめることに行き着いた。だから自分の子どもに固執し所有物のように取り込むのではなく、「一生を主におささげする」と誓うのだ。

 彼女の表情が一変したのは、願いが叶ったからではない。願うべきことが明確にされ、それを叶えられる者としての心構えを先取りして行く、言わば次のステップに目をむけ始めたからだと読み解きたい。

 勿論、この時代における限界を上げるなら、そもそも女性の人権をはじめ、神の恵を長寿や子宝という現象に結びつける問題性を指摘することはできよう。だが、それも含めて、私たちが、疑う余地なく自ら願い求めていることが、実は、社会的・心理的なバイアスによって、その様な願いを持つに至っていると認識すべきではないか。

 私は「祈り」にルールはないと思う。何を祈ってはいけないとか、立派な祈りはこうだとか言う必要もない。美辞麗句を並べても、心が注がれなければ、プレイヤーはむなしい。ただ、私たちの「根源的願い」(必要)を知っている方との対話が「祈り」だと言うのなら、殊更に願い事を述べても無意味ではないか。むしろ祈ることを通して、自分の中に流れ込んでいる「バイアス」に気づかされつつ、生涯を貫いて願うべき道に、立ち至らせて下さるのではないか。「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神」である。(ピリピ2:13口語訳)

(東京中会教師 北川裕明)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

2021年10月31日(日)10:30~ 

 聖書 ガラテヤの信徒への手紙3章15~22節

 説教 「神の確実な約束

​ ​牧師 藤塚 聖

 

 人間同士の約束は、直接話し合って確認することもできるし、契約書を作ってそれを保管しておけば、ひとまず安心といえます。しかし目に見えない超越的な神との約束を、どのように確認すればいいのか、それはなかなか難しいところです。人はそれをただ信頼するしかないのですが、愚かなために信じ切れないので、自分の手で安心できる保証が欲しいとどうしても思ってしまうのです。

 カルヴァンの思想で、後に「二重予定説」といわれるようになった考え方があります。簡単に言うと、神はこの世界の創造の初めから、救う人と救わない人を決めていた(予定した)というものです。それなら人の運命は既に決まっているので、どんなに努力しようと、どんなに堕落した生き方をしようと関係ないということになります。カルヴァンの真意としては、神の主権を重視して、人の救済は完全に神の御手の中にあると言いたかったのですが、「万人の救済」を明言しなかったので、二重の予定という方向に発展してしまいました。

 それにしても、運命が既に決まっているのであるなら、じたばたしても仕方がないのに、人間の意識というのはそう単純ではないようです。社会学者マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という有名な本がこの問題を扱っているのは、よく知られているところです。ヴェーバーは、ヨーロッパで資本主義が発達したのは、プロテスタントの信仰、とくに二重予定説の影響を受けている人たちが勤勉に働いて、資本主義経済を発展させたからだと考えました。プロテスタントの信者は、自分の運命がすでに決まっているとしても、救われる者の側に自分が予定されていると思いたいので、自分たちが真面目に勤勉に働けていることが、その証拠だと見なしたかったようです。なんと強引でややこしい心理かと思いますが、分からないでもありません。つまり人はそうまでして、保証が欲しいというか、確かな証拠を求めてしまうのです。しかしそれは、神の約束を本当は信用していないことになるので、不信仰だとも言えるのです。

 ガラテヤ教会の信者たちは、保守派に影響されて、全部でなくても幾つかの律法を守れば保険になると教えられたようです。自分自身の努力が、自分の救いに役立つのだから、みな頑張ったことでしょう。

 パウロはそれに対して、律法はずっとあとから成立したにすぎないと、アブラハムとモーセを引き合いに出して説明しています(17節)。つまりアブラハムへの神の祝福というのは、モーセの律法よりも430年も前から約束されているということです(出エジプト12:40)。だから律法といえども、神の約束に付け加えられた二義的なものにすぎません。そして神の約束は直接のものであって、決して反故にされることはないのです。パウロはそのことを三つにまとめています。律法は、不完全な人の手によるものであり、キリストまでの限られた期間だけ、違反を明らかにするためのものだとあります(19節)。このように、それは神の約束と同等なものではありません。

 私たちは律法を意識することはほとんどないと思います。しかし神の約束からもれないために一生懸命に信仰生活しているのなら、それは律法と変わりません。私たちの信仰以前に、神の確かな約束があることをしっかり覚えておきたいものです。

(牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

2021年11月7日(日)10:30~   故天満由加里牧師 追悼礼拝

 聖書 ヨハネの手紙一4章16~21節

 説教 「神のいるところ

​ ​牧師 藤塚 聖

 11月3日は、元気であれば天満由加里さんの60回目の誕生日でした。沢山の日記や手帳が残されていて、その中には彼女の魂の遍歴が記されています。特に教会幼稚園を辞職してから農伝入学までの6年間が、その後の人生の大きな転換点になりました。まず原因不明のまま体を壊したことが、自分の体に徹底的に向き合うきっかけとなり、自分の体や命は意のままにはならない自然の中の一部であるという思いに至ったようです。またその間に出会った自然農塾、樹林気功の会、不登校のフリースペース、仏教、ヨガ等により世界観が大きく広がったと記しています。

 一方で、信仰的にはカラカラに干からびていました。しかし知人と行った修道院で、祈りのエネルギーに触れたことが大きかったようです。黙想で感じたことを語り合う「分かち合い」で、心の重しが外れて癒されていきました。また生涯の友となる修道院長との交流を通して、自分の本当の望み、依って立つ所が見えたと記しています。そして一匹の羊を探しに行く牧者になれと召されていると思うようになりました。

 牧師になるため選んだのが農村伝道神学校です。そこで祖父も入学志願していたと初めて知ることになりました。かつて祖父は教会の牧師に相談し、その牧師が農伝出身で現理事長の親友だったようです。理事長は祖父の孫である由加里さんが入学したときは驚きと嬉しさで一杯だったと、訃報を受けた後に手紙をくださいました。祖父は呉服店を妻に任せ、自分は伝道に転身して、施設や病院を訪ね、困窮者のお世話をした人でした。彼女は幼いころからその祖父を尊敬していたそうです。人の目を気にせず信念を貫く姿に、各地を巡り歩いたキリストの影を見たのかもしれません。おじいちゃんが農伝に導いてくれたと何度も言っていました。

 その農伝では、社会の中で人と関わって生きることを徹底して教えられたようです。当初彼女は祈りと黙想に専念する生活に憧れていましたが、完全に打ち砕かれたと記しています。学校生活の中で人にもまれ、壁にぶつかり、苦悩し、何度も助けられ、人とのつながりの中で生かされていることを深く知ることになりました。 

 天満さんは卒業論文を「物語られる命を生きる」という題で書きました。学術的ではなくエッセイとして、それまでの自分の体験を神学的に跡付けたものです。「物語られる命」とは、互いに交差して浸透し合っている命のことだそうです。つまり宇宙も生態系も人間同士も、死者も生者も全ての命が分かち難くつながっているということなのでしょう。

 卒論の結論部分では、当時の校長の高橋敬基先生の著書「他者中心性なる神」から沢山引用しています。その本の要点は、人は基本的に自己中心だが、本質は他から生かされた存在だということです。人は自助努力よりも他者の配慮や支えで成り立っているのであるならば、その他者とのつながりが愛ということかもしれません。従って、愛とは単に感情や主観ではなく、関係性そのものだと思います。聖書には「神は愛である」(4:16)とあるので、つながり自体が愛であって、まさにそこに神がいて下さるということなのでしょう。

 天満さんはこのつながり、つまり配慮や支え合いを大事にした人でした。人からの手紙も沢山とってあります。たぶんその内容が自分への励みと支えだったのだと思います。そして人にも同じようにしていました。

 修道院長からの卒業祝いのハガキにこうありました。「人々が自然に休みたくなるようなオアシスにきっとなられるでしょう。あなたがずっと求めてきた泉を、分かち合ってゆかれますよう祈っています」

 (故天満由加里牧師 追悼礼拝説教  牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

2021年11月14日(日)10:30~   

 聖書 ガラテヤの信徒への手紙3章21~25節

 説教 「信仰の落とし穴

​ ​牧師 藤塚 聖

 

 御存じのように、パウロ時代の信者には3つのタイプがありました。一方に、ユダヤ教とほとんど変わらない保守派がいて、その対極には、パウロのようにユダヤ教の習慣や律法を積極的に否定する革新派がいました。その中間には、イエスの弟子のペテロやパウロの同労者のバルナバのように、キリストによる救済を重んじながら、律法も否定しない中間派がいました。ガラテヤ教会のほとんどはこの中間派だったと思われます。彼らはパウロがなぜむきになって律法を否定するのか、最後まで理解できなかったと思われます。

 最近の聖書学によると、当時のユダヤ教の状況は、思っていたイメージと大分違うことが分かりました。一般的なユダヤ人は、律法を完全には守れないものと考えていたようです。つまり可能性がないので、律法は救済の条件にはなりえなかったのです。むしろそれは神の民のしるしとして、神から与えられた恵みとして考えられていました。詩編には、律法を讃美する詩が多く残されているのも同じ理由からです。

 それなのに、私たちが律法に対して悪いイメージをもつのは、パウロの影響が大きいからです。回心前のパウロは、パリサイ派というゴリゴリの原理主義者でした。彼にとって律法がただ一つの救済手段だったので、その遵守のために物凄い努力をしました。しかし不可能なことを可能と思い込むのだから、必ず自己矛盾に陥ります。彼は自分で自分の首をしめることになり、最終的には人は神に許されるしかないという思いに至りました。このように、彼は散々遠回りをして、やっと当たり前の結論に到達したわけです。

 普通のユダヤ人からすると今更という感じでしょう。彼らは昔から神の民という自覚をもち、父祖アブラハムへの祝福は、そのまま自分たちへの祝福として受け取っていました。従って律法の遵守を祝福(救済)の条件とは考えないから、それに苦しむこともないし、それを否定する必要もなかったのです。このように、律法に対するスタンスが違うために、パウロの考え方とかみ合わないのは当然のことだったのです。

 さて、私たちにとって、信仰を持って生きることの有難さは何でしょうか。それは神とつながっている安心感や、神の子として愛されている喜びだと思います。パウロはそのことを、「キリスト・イエスに結ばれて神の子」(26節)、「キリストを着る」(27節)、「アブラハムの子孫」、「約束による相続人」(29節)というような言葉で表現しています。そこに到達するには、彼は律法を否定する必要がありました。しかしガラテヤの信者たちはそうしないでも、神の祝福にたどり着いていたのです。それなのに、パウロは彼らに自分のやり方を強引に押し付けたので、当然大きな反発がありました。普通のユダヤ人にとって律法の否定はあり得ないことです。パウロは、律法そのものではなく律法主義を否定すればよかったのかもしれません。

 さて、私たちも信仰の有難さを知る者ですが、果たしてそこに至る道は一つしかないのでしょうか。私たちはキリスト教信仰により、そこに至っているのですが、それを唯一の方法と考えるなら、パウロと同じ過ちを繰り返すことになります。実際には色々な道があり、私の辿った道もその中の一つであると思えるなら、世界はもっと広く豊かに見えることでしょう。

(牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

2021年11月21日(日)10:30~   

 聖書 ガラテヤの信徒への手紙3章26~29節

 説教 「洗礼について考える

​ ​牧師 藤塚 聖

 

 パウロはここまでの議論を踏まえて、「洗礼」に言及しています。私はこの文脈の中だからこそ、彼の洗礼についての考えを知ることが出来るように思います。

 その前に、予備知識として、教会の歴史の中で洗礼がどのように扱われてきたかを説明します。洗礼は他宗教にも多くあり、古くは穢れを洗い流すものと考えられました。キリスト教では、洗うというより古い自分がおぼれ死んで新しく生き直すという要素が強まりました。更にそこにキリストと共に死んでキリストにつながる意味も加わりました。このように、時代と共に多様な意味が積み重ねられることになりました。

 別の側面から考えるならば、洗礼には二つの捉え方があります。一つは、洗礼自体に効力があるというものです。つまり人は洗礼を受けて初めて救済されるということです。本日の個所にも、翻訳に問題がありますが、「洗礼を受けてキリストに結ばれた」(26節)とあります。そのために、洗礼を受けないまま死んでしまっては天国に行けないので、中世カトリック教会においては、幼児は生まれてすぐに洗礼を授けられました。だから大人の洗礼は想定外であり、洗礼のための水槽は幼児用しかなかったようです。単純に考えるなら、洗礼とは救済されるためのワクチン注射のようなものということになります。

 もう一つの考え方は、洗礼を本人の自覚や決心を表すものとする立場です。それによって救済されるというより、人ははじめからキリストの信実により神の子なのだから、それを自覚した時に、そのしるしとして洗礼を受けるというわけです。信仰者として生きていく上での「けじめ」と言ってもいいかもしれません。従って、極端に言うなら、洗礼を受けても受けなくても神の子であるという事実(本質)は変わらないということになります。神学者のカール・バルトはその点ははっきりしていて、洗礼は清めでも聖化でも救済の業でもなく、神への祈りだと言いました。つまり自覚した者の神への応答ということです。私たちもどちらかというと、ワクチンではなく応答と考えているのではないでしょうか。 

 さて、パウロのここまでの議論では、人が救済されるのは、律法を含めて人の行いは無関係であり、キリストの信実によるということでした。つまり、私たちはまったく無償で無条件でキリストに結ばれて、一方的に神の子とされているということです。この流れで言うならば、洗礼を受けるという私たちの行為が、救済の条件になるはずがありません。新共同訳は誤解を生じさせる点でかなり問題があります。パウロがここでわざわざ洗礼に言及するのは、神に対する感謝の応答であったと信者に思い起こさせるためだったのでしょう。

 このように、私たちの事情が一切関係ないことは、28節以下の言葉でもはっきりしています。おそらくパリサイ派であった時のパウロが大いにこだわったであろうユダ人であること、自由人であること、男であることが救済にとって何の意味もないということです。誰もがキリストにむすばれて神の子なのだから、あのアブラハムの子孫であり、神の祝福を受け継ぐことができるのです(29節)。

 こういうことであるなら、現代において洗礼はどういう意味を持つのでしょうか。教会も組織である以上、洗礼の有無がデータになる場合があります。しかしそれでも、それはあくまでも自覚のしるし以上ではないことを忘れてはならないでしょう。

(牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

2021年11月28日(日)10:30~   

 聖書 ガラテヤの信徒への手紙4章1~7節

 説教 「抑圧からの解放

​ ​牧師 藤塚 聖

 

 キリストを知ることは、人に何をもたらすのでしょうか。パウロはそれを当時の習慣になぞらえて説明しています。古代ヘレニズム社会では、ある程度裕福な家には養育係や執事がいて、その家の子どもの世話をしていました。主人から託された権力は絶大であり、たとえその家の跡継ぎであっても、成人するまでは執事の支配下にありました。執事には絶対に逆らえないので、命令されるまま、本当に奴隷状態であったと思われます。それが成人になるとやっと執事から解放されて、自分の意志で行動できるようになるのでした。

 それと同じように、パウロは、キリストを知るまでは、人はこの世を支配する諸霊によって奴隷状態になっていると言っています(3節)。古代においては、自然現象も社会現象も、悪霊の仕業と考えられました。その力によって人も操られているというわけです。この世の事象の説明に霊を持ち出すのは、現代では非科学的だといえます。しかし世界が何か大きな力によりつき動かされ、理性ではどうにもならないとか、物事を見ているつもりで全く見えていないとか、そういう感覚を、パウロは古代人なりの表現で言い表しているのだと思います。

 世界滅亡までの時間を刻む「世界終末時計」というものがあります。1947年に米国の科学情報誌が残り15分と発表して、世界の危機に際して警鐘を鳴らしてきました。最悪だったのが1953年で残り2分でしたが、昨年は核軍縮が進まないことや温暖化の加速により、100秒にまで縮まってしまいました。確かに現存する大量の核兵器を廃絶できないことや、誰もが分かっていながら、経済発展のために自然破壊を止められない現状を見るならば、私たちが理性ではどうにもならない大きな力により引き回されていると言わざるをえません。

 それなら、人はこのような現状からどうすれば解放されていくのでしょうか。このような世界を作ったのが人なのだから、結局は人が変えていくしかありません。パウロは、キリストが「女から、しかも律法の下に」生まれたと言っていることから(4節)、この簡単な文言に大きな意味があるように思います。「女から」とは、キリストは私たちと何ら変わらない一人の人間として生を受けたということです。つまり普通に弱さや限界と無縁でなかったわけです。さらに、「律法の下に」とは、頭の中から生活の仕方まで強固に縛られた厳格な律法社会の中で生まれ育ったにもかかわらず、そこに留まることなく超えて生きたということです。そこに人としての可能性が示されているのかもしれません。そしその後に続くのならば、私たちは諸々の縛りから「贖い出されて」、つまり解き放たれて、名実ともに「神の子」となっていくのでしょう(5節)。

 これは理想が言われているのであり、私たちにはとても無理だと言う人がいるかもしれません。しかしパウロは続けて大きな励ましを述べています。それは、私たちがいつも「父なる神さま」と普通に祈れているのだから、もうすでに神の子なのだということです(6節)。そして神の子なのだから、色々な力の奴隷ではなく理性をもった人間としてまっとうに生きられるのだと諭しています。世界の大きな課題を考えるならば決して簡単ではありませんが、人にはそれを克服する力があることを、キリストが生きて示して下さっているように思います。

(牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

2021年12月5日(日)10:30~   

 聖書 ガラテヤの信徒への手紙4章12~20節

 説教 「キリストのかたち

​ ​牧師 藤塚 聖

 

 ガラテヤ地方に教会ができるきっかけは、パウロの病気が関係していたようです。二度目の伝道旅行の途中で、パウロは何らかの病気のためにしばらくガラテヤ地方に滞在することになりました(言行録16:6)。そこは小アジアの内陸部であり、千メートルを超える高原なので、夏でも涼しいところです。療養するには適していると思ったのでしょう。その滞在中に、ある程度体調が回復してきてからは、自分の教えを現地の人たちに話したことで、それに共感した人たちが教会を作ったのでした。

 現地の人たちは、パウロに「自分の目をえぐり出しても私に与えようとした」(15節)ということなので、両者の間には相当に深い信頼関係が築かれていたことと、彼の病気が目に関係していたことが分かります。かつてダマスコに教会迫害のために馬を走らせたとき、目がくらんで馬から落ちて、その後三日間は目が見えなくなったとあるので(言行録9:9)、原因は癲癇や熱中症だけでなく、その頃から視神経的に何か持病があったのかもしれません。

 さて、古代においては病気や障害は、人が罪を犯した報いと考えられたので、病気のパウロは忌避されてもおかしくありませんでした。それにもかかわらず、神の使いのように歓迎されたのだから(14節)、パウロの教えがいかに現地の人たちの心に刺さったかということです。

古代社会で、人は何らかの宗教に属していなければなりませんでした。それが当たり前であり、その煩わしさに不満があっても耐えなければなりませんでした。宗教的慣習に時間とお金がかかり、日常生活が縛られるのですから、そこから解放されるなら、こんなに有り難いことはありません。パウロの説く宗教は、煩雑な戒律もないしお金もかからないので、それだけでも大きな魅力だったのだと思います。

 しかし人は主体的な自由を与えられると、逆にそれが不安になり、むしろある程度の命令や規律に安心することもあるものです。ガラテヤの信者たちは、最初はパウロの教えを喜んでいましたが、彼の後から教会を指導したユダヤ主義者の教えの方が、常識的なものに感じられたのでしょう。さらに持論をがんがん押しつけてくるパウロの態度に、だんだん嫌気がさしたのかもしれません。

 パウロは、自分の説いたキリストを信者たちに思い出してほしいと思っています(19節)。彼にとっての「キリストのかたち」は、十字架に張り付けになっているキリストです(3:1)。彼は、十字架のキリストにすべてを与えて最後は命まで与え尽くす神の姿をイメージしました。それまでは、神は裁き主として恐ろしい存在でした。そのイメージが十字架で死んだキリストにより覆されたのでした。それは、人の罪の代わりにキリストが犠牲となる「贖罪論」とは違います。信者たちはパウロの「キリストのかたち」に物足りなさを感じたのでしょうか。

 最後に、私たちの「キリストのかたち」はどういうものでしょうか。絶対に贖罪論でなければいけないわけではありません。まさにパウロがそうだったように。私個人のことで言うなら、伝統的は贖罪論ではしっくりきません。それがぴったりくる人もいるかもしれませんが、そうでない人がいてもいいのです。私たち一人一人が、自分にとって一番納得できる「キリストのかたち」を、しっかりとイメージしていきたいものです。 

(牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

2021年12月12日(日)10:30~   

 聖書 マルコによる福音書6章1~6節

 説教 「イエスの父について

​ ​牧師 藤塚 聖

 

 来週はクリスマスを迎えます。この時期はイエスの母マリアにスポットライトが当たる一方で、父親のヨセフはまったく影が薄いというのが正直なところです。人口調査のために、エルサレムまで妻のマリアを連れて旅をしたという印象しかありません。実際に、ヨセフの郷里の人たちも、妻のマリアは知っていいても、ヨセフに関してほとんど記憶がないようです(3節)。

 そこで本日は、イエスの父ヨセフのことについて考えてみたいと思います。一応聖書では、ヨセフはあの偉大なダビデ王の子孫ということになっています(マタイ1:16、ルカ3:23)。しかし二つの系図はかなり異なる部分も多いし、どうしても後付けという感じがします。つまり当時メシアはダビデの子孫から生れると考えられていたので、それに合わせる必要があったわけです。

 このあたりは、一つの物語として読むしかないのですが、マリアは聖霊によってイエスを宿したことで、ヨセフは婚約を解消しようとしました。しかし夢で天使のお告げを聞いて翻意し、マリアを受け入れることにしたとあります(マタイ1:24)。ユダヤ教の律法に従うなら、姦淫は石打の刑により殺されても文句は言えないのに、ヨセフは大きな問題にしなかったのだから、彼は頑なではなく穏やかな人だったということになります。

 イエスが30代で宣教活動を始めた時に、すでにヨセフはいなかったようです。それなら亡くなったのは、いつ頃だったのでしょうか。その判断材料として、本日の個所に貴重な記述があります。イエスには、4人の弟の他に2人以上の妹がいたとあるので(3節)、長男のイエスと一番下の弟妹は、年齢が一回り以上離れていたはずです。従って父親のヨセフは、イエスが10代半ばくらいまでは生きていたことになります。また、イエスが大工なのは父親の仕事を引き継いだということであり、13才位までは父から厳しく仕事を習ったはずです。そして一通り仕事を覚えて間もなく、父は他界したのではないでしょうか。そうでなければ、郷里の人たちはヨセフのことをもっと覚えていたはずです。 

 したがって、イエスは10代半ばか、少なくても20才になる前には父を亡くして、まだ小さかった弟妹と母を養うために大工をして、家族を養ったということになります。大工といっても、家具や建具の職人なので、短期契約か日雇いだったと思われます。このようにイエスは若い頃から随分苦労をしたのでしょう。

 「主の祈り」の原型は、ユダヤ教の「カディシュ」という短い祈りだったようです。そこにイエス自らが「その日の食べ物をお与え下さい」という言葉を加えたことからも、毎日食べていくのに精一杯だった様子が想像できます。そして祈りの中で、イエスは神に「アバ」と呼びかけました(ルカ11:2)。お父さんという親密な言葉です。人生で一番多感な時に父を亡くしたイエスにとって、神は父に代わって常に見守ってくれる存在だったのでしょう。

 ヨセフは、郷里の人々の記憶にもなく忘れ去られた存在でした。しかしイエスのその父への思いが、神に投影されていることに何か摂理を感じます。歴史には権力者や有名な人の名しか残りませんが、歴史を紡いできたのは名もなき多くの人々です。神が父と呼びかけられることの中に、名もなき人々が生きているように思います。

(牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

2021年12月19日(日)10:30~   クリスマス礼拝

 聖書 ヨハネによる福音書1章1~5節、14~18節

 説教 「闇を照らす光

​ ​牧師 藤塚 聖

 

 今年のクリスマスの案内ハガキに、今は多様性が重んじられる時代だと記しました。国や時代によって考え方や価値観に違いがあるので、一律にこれが正しいとは言えません。また世代によっても考え方に大きな違いがあると思います。最近のことでは、オランダで行われているカーリングの試合中継を、NHKが急きょ中止にしたことがニュースになりました。試合が行われる氷のコート上に、アダルトグッズ企業の広告があったことが理由でした。この会社はその判断に対してすぐに反論を発表しましたが、欧米と日本とでは考え方に違いがあるのです。英国では、アダルトグッズメーカーが「英国女王賞」というビジネス業界最高の栄誉を受けました。「性」を誰もが楽しめるものに変えていくということが評価されたのです。日本ではすぐに悪影響を考えるのでしょう。

 昔なら、親や先生の言うことが正しいとか、道徳の教科書に学ぶとかありましたが、今はネットなどに世界中の情報があふれています。その中で私たちは何を選び取るのでしょうか。

 ヨハネ福音書は「初めに言があった」(1節)で始まります。言(ことば)はギリシャ語でロゴスですが、この日本語訳は良くないと思います。というのは「ことば」と翻訳されたために、言葉による信仰告白やドグマが必要以上に重視されることになりました。真理を全て言葉で言い尽くせると勘違いする原因になったのです。

 ロゴスは道理や原則とも訳せるので、「はじめに道理があった」という方がよく分かります。つまり、神の造った世界には、初めから道理があって、それを人はしばしば見失うけれど、進むべき筋道はちゃんとあるということです。これなら誰でもすぐに理解できるでしょう。そうであるなら、最初に多様な考え方や価値観があると言いましたが、それらを超える道理や原理原則というものは果たしてあるのでしょうか。私はクリスチャンなのでそれはあると信じています。どんなに時代が変わっても、誰であっても、人間であるならば認めざるを得ない普遍的な原則があるのではないでしょうか。例えるなら「自然法」に近いかもしれません。 

 そしてその原則が肉となったとは(14節)、イエスキリストという人を通して、それが目に見えるものになったということです。イエスの教えや生き方は、徹底的に愛を貫いて最後はそのために命を失うのですが、それを知った人は心が動かされます。自分にはとてもできないが凄いことだとか、それは尊いことだとか、心の奥が疼くのです。それは、私たちが普段はエゴイズムで生きていても、私たちの中にも種火があって、それが時として呼び覚まされて共鳴するわけです。そうなるのは、私たちも神の子であって、みな心にロゴスを埋め込まれているからなのでしょう。

 阪神淡路大震災の後に、行政は次の被災に備えて、復興住宅の「長屋化」を打ち出しました。近隣住人の親密化が救助につながると考えたからです。しかし現実は違っていて、事後調査によって全く知らない者同士でも親身になり助け合ったことが明らかになりました。あの状況の中で人は自然に「良きサマリア人」になったということです。私はそこに人の本質を見る思いがしました。

 イエスキリストはロゴスを十全に生きたから、神の独り子なのでしょう(14節)。しかし私たちだって不充分ながらも神の子なのです。クリスマスはキリストを崇拝して終わりではありません。神のロゴスつまり道理と原則が私たちの中にもあると自覚するときです。キリストのように闇を明るく照らせなくても、小さな灯くらいにはなって生きていきましょう。

(牧師 藤塚聖)

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

2021年12月26日(日)10:30~

   聖書 ガラテヤの信徒への手紙5章2~15節

 説教 「愛によって働く信仰」

​ ​牧師 藤塚 聖  

 ガラテヤ書のテーマは、神の愛というものは無条件で無償の愛だということです。かつてのパウロにとって、神の愛は律法遵守という条件付きだったので、きっと苦しくて、本当に愛されている実感はなかったのではないかと思います。彼はその経験に基づいて、神に愛されるため何か条件を満たそうとする生き方と、神の無償の愛を信頼する生き方は全く別のものになると言っています(13節以下)。そしてそのことを様々な言い方で説明しますが、それが成功している場合とそうでない場合があります。本日の個所の前後の部分はうまくない典型かもしれません。

 まず4章21節以下で、創世記(21章)にあるサラとハガルの話を使って自説を展開するのですが、まったく酷いものです。女奴隷ハガルとその子イシマエルは、サラの妬みを買って追い出されたのに、サラとイサクが彼らに迫害されたことになっています(4:29)。アブラハムとサラのやったことはとても赦されることではなく、本当なら糾弾されるべきなのに、パウロにとってそこは全く問題にならないのです。つまりサラとイサクはユダヤ人の祖先なので正しくて、ハガルとイシマエルは異邦人の祖先なので悪いと決まっているのです。そして奴隷の子であるイシマエルは律法の奴隷ということにされて、一方でイサクは自由であり、私たちも彼とつながっていて自由の身なのだという訳です(4:31)。無理やりというか牽強付会としか言えません。

 5章16節以下には、悪徳表(19節以下)と徳目表(22節以下)があります。律法から自由な生き方は霊の実を結ぶのに対して、律法を必要とする生き方は肉の業であって、ありとあらゆる悪徳に至るとあります。そして結果として、悪徳を行う者は「神の国を受け継ぐことはできない」というのです(21節)。「人はその行いによっては義とされない」というパウロの信仰義認論からすると完全に矛盾しています。

 さて、パウロ批判だけではまずいので、最後に大事なことを指摘したいと思います。6節の「愛の実践を伴う信仰」は、以前の口語訳では「愛によって働く信仰」となっていました。こちらの方が良いので、それを本日の説教題にしました。新共同訳の、「愛の実践を伴う信仰」ということなら、信仰しているだけでは不十分なので愛の実践も伴わないとだめだというニュアンスになります。これでは真意は伝わりません。まず神の無償の愛があるからこそ、その神を信頼できるというのがパウロの言いたいことです。それは人間関係でも同じであって、互いに信頼関係が結べるのは愛が基礎にあるからです。何もないままで人を信頼することはできません。愛がないのに、あるいは愛に条件を付けているのに、その相手を本気で信頼できるのか疑問です。ましてや、神が私たちを愛する際に条件を求めたり、場合によっては断絶するものであるなら、それはもはや信頼すべき神ではないのでしょう。

 これらは人の人生観にもかかわる問題です。自己肯定感のある人というのは、まず自分が無条件に愛されていると実感できる人だと思います。そういう人は、この世界は生きるに値すると信じることが出来るでしょう。不完全な自分が今あるこのままで、丸ごと肯定されるというのが、その基本にあるはずです。その意味でも、神の愛は無償で無条件でなければ意味がありません。人に「割礼」(2節)や倫理道徳のように、何かを条件として要求する愛なら、それは愛に値しません。それがパウロの一番訴えたかったことではないでしょうか。

(牧師 藤塚聖)

2021.04.25
2021.05.02
2021.05.09
2021.05.16
2021.05.23
2021.05.30
2021.06.06
2021.06.13
2021.06.20
2021.06.27
2021.07.04
2021.07.11
2021.07.18
2021.07.25
2021.08.01
2021.08.08
2021.08.15
2021.08.22
2021.08.29
2021.09.05
2021.09.12
2021.09.19
2021.09.26
2021.10.03
2021.10.10
2021.10.17
2021.10.24
2021.10.31
2021.11.07
2021.11.14
2021.11.21
2021.11.28
2021.12.05
2021.12.12
2021.12.19
2021.12.26
bottom of page