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​過去の礼拝説教集2020年4-5月

2020年4月19日(日)10:30~

   聖書 コリントの信徒への手紙一15章1~11節

 説教 「私の復活信仰」

​ ​牧師 藤塚 聖  

 

 先週のイースター説教はマルコ福音書でしたが、今回はパウロの手紙からイエスの復活について考えてみたいと思います。

 最近、ミッション系の北星学園大学で宗教学を教えている山我哲雄さんの「キリスト教入門」という本を読みました。これは岩波ジュニア新書で、中高校生向きに分かりやすく書かれたものです。その中で山我さんは、イエスの復活を確信した人がいたということと、イエスが物理的に復活したかどうかという問題は、全く別の事柄だと書いていました。これはジュニアにも分かる当然のことです。しかしながら信仰者は、両者を混同してしまい、福音書に書いてある通りに、イエスの物理的復活が歴史的事実でなければならないと思ってしまいます。

 考えてみますと、私も子供の頃から教会でそういうものだと教わってきました。現実にはありえないことだけれど、誰もが信じられないからこそ、それを信じることに価値があるのだと教えられました。しかし信仰を自覚的に考えるようになってからは疑問をもち、神学大学でそれは信仰でも何でもなく「知性の犠牲」にすぎないと知りました。

 現在「学びの会」で読んでいる本の著者の青野太潮さんは、人が追体験できないような事柄は人にとって意味をなさないと言っています。つまり絵空事は生きる力にならないということです。復活物語のような内容が、そのまま私の身に起こることはこの先もまずあり得ないでしょう。そうなると復活物語は、私にとっては全く別世界の話しになってしまうのです。そこで私は、復活物語を弟子たちの内的な体験を目に見える形に表現したものとして読み直すことにしました。そうするならば、この話しは何の抵抗もなく違和感なく私自身の経験とつながってきます。そうなって初めて雲の上の別世界の話が、きわめて身近なものとなり、私の生きる力になってくるのです。

 さて長々と前置きをしましたが、パウロにとって復活者との出会いはどのようなものだったのでしょうか。15章の3節から7節は、すでに教会が保持していた信仰告白文です。キリストが弟子たちに次々と現れたとあるのですが、パウロはそれを引用しつつ、ちゃっかり最後に自分のことを付け加えました(8節)。復活者との出会いの詳しい話しとしては、使徒言行録に書かれていますが(9:1以下、22:6以下、26:12以下)、これは脚色されているので横に置くとして、パウロ自らが書いていることは、拍子抜けするほど簡単な報告です(ガラテヤ1:16、2コリント4:6)。内容的には、パウロは自分を追い込む生き方に破れて、ある時点で神に許され生かされている現実に目覚めたのでしょう。それがパウロにとって復活者キリストとの出会いだったのです。そういうことなら、私たちの実感とほとんど変わりありません。

 私たちが今も信仰者であり続けているのは、パウロと同じようにキリストとの出会いがあったからに他なりません。そのきっかけが何だったのか。人によっては死の恐怖からの解放であり、かたや絶対的に許され生かされている実感であり、または神と共にある安心感であり、いずれにせよ何かあるはずです。そしてそれを言い換えるならば、復活のキリストが私に現れたということなのでしょう。

 このように表現方法が違うとはいえ、この私たちも、弟子たちと全く同じように復活のイエスに出会い、パウロと全く同じように心の内にキリストの光が輝いていることになります。その意味では、パウロが「最後に、月足らずで生まれたような私にも現れました」(8節)と記したそのすぐ後に、私たちが自分自身の名前を書き加えても何ら間違いではないのです。                       

(牧師 藤塚聖)

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2020年4月26日(日)10:30~

   聖書 コリントの信徒への手紙一15章1~11節

 説教 「私の復活信仰その二」

​ ​牧師 藤塚 聖  

 

 前回の説教で、説明不足だったところをいくつか補足したいと思います。まず私たちの復活信仰とは何かということです。それは、2千年前の弟子たちの特別な体験を、私たちが無理をしてでもひたすら信じるということなのかということです。福音書の復活物語のように、私たちが復活のイエスと直接出会って会話をしたり、一緒に食事をするということは現実的にあり得ないことでしょう。それなら、自分たちには絶対にあり得ないことを、ただただ信じねばならないこととして、ひたすら信仰するということは、私たちにとって本当に意味のあることなのでしょうか。それが信仰というものなのでしょうか。可能性として私たちが体験できないことは、ある意味で「絵空事」です。そしてそれは生きる時の本当の力にはなりえないと思うのです。

 さて、パウロの回心、つまり彼の復活のイエスとの出会いは、イエスの死からかなり時を経た3年後の出来事です(使徒言行録9:1以下)。それに対して、弟子たちはイエスの死後すぐに出会いがあり、40日間イエスから教えを受け(1:3)、イエスが天に上がるのを見送りました(1:9)。何を言いたいかと言うと、イエスとの出会いというものは、死後40日間に限られたことなのではないかということです。それ故に、パウロに起きた出来事はこれから大きくはずれています。

 こう考えるなら、イエスの死後すぐの弟子たちの体験と、その後3年も経ってからパウロのそれとでは、同列に論じられないというか、質的に全く違うものではないかと言われても仕方ありません。事実パウロ自身が、復活のキリストとの出会いについては、きわめて簡単に抽象的にしかふれていません。「わたしにも現れました」(1コリ15:8)、「神が…御子をわたしに示して」(ガラ1:16)、「神はわたしの心の内に輝いて」(2コリ4:6)などごくわずかです。またパウロでなくルカが書いたものでありながら、キリストとの出会いは、光に照らされてその声を聞いたということだけです(言行録9:3、22:6、26:13)。しかもキリストの声はパウロにしか聞こえなかったとあります。これらのことを考え合わせると、パウロにとって復活のキリストとの出会いとは、きわめて実存的で内面的な体験だったと言っていいと思います。

 それにもかかわらず、パウロはイエスの弟子たちの体験と自分のそれとはまったく同じものだと考えているので、すでに教会に広まっていた「信仰告白文」に「最後に…わたしにも現れました」と堂々と書き加えることができたのです。ということは、ケファ(ペテロ)を筆頭にした弟子たちの復活体験も、500人以上の信者たちのそれも、パウロと同じように、内面的な出来事であったと言えるでしょう。

 私たちも信仰者である以上、何らかの形でイエスキリストと出会っています。そしてそれは当然ながら内面的な出会いです。イエスの生き方に惹かれたのか、イエスを通して神の愛を知ったのか、罪を赦されたのか、いずれにせよイエスによって自分の人生に大きな影響を受けています。そのことが間違いなく復活のイエスとの出会いであるのだから、私たちも、ペテロやパウロのように劇的な形でないにしても、彼らと何ら変わらない出会いを頂いていることになります。そしてそれが確かに私たちの生きる力になっているのです。前回の繰り返しになりますが、15章8節に続けて、「そしてわたし○○にも現れました」と自分自身を付け加えるべきなのでしょう。 

(牧師 藤塚聖)

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2020年5月3日(日)10:30~

   聖書 使徒言行録1章15~26節

 説教 「ユダの代役」

​ ​牧師 藤塚 聖  

 

 イエスの昇天後、取り残され弟子たちがやった最初のことは、ユダの代役を決めることでした。候補者の条件としては、イエスの宣教活動の最初から最後まで一緒にいた人ということが絶対条件でした(1:22)。そしてくじ引きによって、マティアに決まりました。

 著書のルカはなぜこのエピソードを記したのでしょうか。選ばれたマティアの名が出るのはただここだけなのです。おそらくルカにとっては、マティアがどうこうではなく、12弟子というのは特別な存在であり、欠員のままではいけないと言いたいのでしょう。さらに補欠の条件も、イエスの傍に長くいてよく知っている人でなければならないということでした。ルカは生前のイエスと直接関わりのあった弟子たち、そして彼らを中心としたエルサレム教会というものを、自分の歴史観の中で非常に重要なものと考えていたようです。そして使徒言行録の中でも、「使徒」と言われる特別な人たちを、12弟子たちとそれ以外のほんの限られた人に限定しています。ということは、弟子ではなくて後に回心したパウロをそこから完全に排除するということが、ルカの意図だったのではないかとさえ思えます。パウロ自身があれほど自分の「使徒」という肩書にこだわったことを承知の上で。

 それに関して、井上洋治神父は著書の中で「使徒言行録執筆の目的の一つは、パウロの思想を弱体化させ、エルサレム中心主義の流れの中に抱き込むことにあったのではないか」と言っています。とても不思議に思うのですが、ルカはパウロと苦楽を共にし、熱心な協力者として仕え、その最期も見届けた人でした。普通ならよき理解者であっていいはずなのです。しかしそれだけに、自分とパウロの考えとの間に越えがたい違いを見ていたのか、それともパウロ主義の追従者に厳しい批判があったのか、その辺りは分かりません。今後の宿題にしたいと思います。

 さて最後に私の感想を述べます。ペテロの説明から分かるように、ユダについては相当にひどい言い伝えが定着していました(1:18-19)。教会の歴史の初めから、弟子たちの失敗や裏切りは、死んだユダに全部押し付けられて、残った弟子たちは免責され「聖人」化されていくのです。両者のその後の扱われ方は天と地ほど違います。しかし考えてみると、両者には本質的に大きな違いはなく、ユダは自責の念に堪え切れずに自死し、他の弟子は何とか乗り超えたにすぎません。ルカはエルサレム教会を理想化し過ぎていますが、教会という存在は、イエスを裏切った者たちから始まったということを決して忘れてはならないと思います。その意味でも、教会や聖職者が権威になることなどありえないのです。私たちも神と人に赦されて今あるのだから、何があってもお互い様という寛容な精神で生きるべきなのでしょう。

 もう一つのことは、ユダの補欠に選ばれたマティア自身はどう思ったかということです。ユダの死の伝説からも分かるように、決して名誉なこととは思えなかったかもしれません。それでも不名誉な代役をどこかで割り切って受け入れたのでしょうか。きっと後の信徒たちは、このマティアに自分を重ね合わせたことでしょう。損な役回りでも、必ず誰かがやらなければならないということが、この社会にはいくらでもあります。それを分かった上で引き受ける人が一定数いることが、社会を成り立たせてきました。私たちは、誰かがやるべき損な役をもし託されたらどうでしょうか。もしそれを引き受けるなら、選んでくださった神に少しでも応えることが出来るでしょう。 

(牧師 藤塚聖)

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2020年5月10日(日)10:30~

   聖書 使徒言行録2章1~4節

 説教 「聖霊について」

​ ​牧師 藤塚 聖 

 

 今月の31日はペンテコステ(聖霊降臨日)として、聖霊を受けた弟子たちが宣教し始めたことを記念する日になっています。使徒言行録には、「一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」(2:4)とあるので、今回はこの「聖霊」ということについて考えてみたいと思います。

 聖霊については強調する教会がある一方で、私たちの教会ではあまり語られません。それだけに学んでおくことが必要かもしれません。と言う私も不勉強なので、渡辺善太先生の書いたものを参考にして、私の理解した範囲で紹介いたします。渡辺先生は主に旧約学で業績を残しましたが、それに留まらず、聖書解釈や聖書正典という教義学的な分野でも戦後の教会に大きな影響を与えました。米国留学後は聖学院神学校や同志社神学部で教え、ドイツ留学後は青山学院神学部で教えました。信仰歴はなかなか複雑で、回心当時は救世軍、その後ホーリネス派、最後はメソジスト系ということになります。最初は聖霊体験を強調する教会に所属し、問題を感じて離れました。聖霊を受けるとは、熱狂や特殊な体験ではないと何度も述べています。熱狂的な教会で非常に苦しんで、それを乗り越えた方だからこそ、そこから教えられる点が多いのではないかと思います。

 渡辺先生によると、聖霊をまずは教会という領域で考えるということです。あえて教会というリミッターを設定するのは、そうしないと人は自分の主観で聖霊を勝手にあれだこれだと決めてしまうからだと言います。聖霊の働きはどこにあるかというなら、少なくとも教会の中にあるというわけです。

 第二に、聖霊はキリストを証しするということです。1コリント12章12節に「聖霊によらなければ誰もイエスは主であると言うことはできない」とあります。私たちは余り自覚しませんが、キリストに価値を認めるのは当たり前の生き方ではありません。そこに至るのは人との出会いを含めて、自分を超えた導きを認めざるを得ません。それを聖霊の働きと言っていいのでしょう。 

 第三は、聖霊が救いの確かさをもたらすということです。ローマ8章16節に「御霊みずから、私たちの霊と共に、私たちが神の子であることを証ししてくださる」とあります。私たちのことを神自らが保障してくれるというのです。

 この点については、渡辺先生の所属するメソジスト教会は、「救いの確信」や「救いの自覚」を重視します。自分は救われているという強い実感のことです。それはそれで大事なことですが、強調されすぎると弊害もあります。渡辺先生の弟さんは、救いの自覚がもてないことに自信を無くして、のちに教会を離れてしまったそうです。

 救いの確信ということでは、聖霊を強調する教会では、確信が生じた時に初めて聖霊が下ったと考え、これを「第二の恵み」と呼びます。ここに至らないと本物の信者ではないとされます。しかし渡辺先生はこの考え方に断固反対します。確信に至るか否かに関わらず、聖霊は最初から私たちにもたらされているのだと。きっと弟さんのことが念頭にあったのだと思います。

 最後の点については私も全く同感です。確かな救いの自覚は大事なことではありますが、そこに達するか否かに関わらず、聖霊は私たちに働き続けているのでしょう。そしてたとえ確信が持てなくても、聖霊は私たちが神の子であることを保証しているのです。

(牧師 藤塚聖)

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2020年5月17日(日)10:30~

   聖書 使徒言行録2章1~13節

 説教 「相手に通じる言葉」

​ ​牧師 藤塚 聖 

 ペンテコステのイメージについて、私たちはこの時にはじめて人びとに聖霊が下ったと考えがちですが、決してそうではありません。大昔の旧約聖書の時代から、預言者たちは神の霊を受けて活動しているし、イエスの弟子たちも、すでに復活のイエスから霊を受けているからです(ヨハネ20:22)。従って、ペンテコステの出来事というのは、「霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(2:1)とあるように、弟子たちがはじめて自分たちの信仰を自分たちの言葉で言い表すようになったということです。

 それ故に、この話の中で重要なのは「言葉」ということです。「ほかの国々の言葉で話しだした」ということがまさにそうだし、一人一人の上にとどまった「炎のような舌」というものも言葉に関係しています。

 まず9節以下に、沢山の民族と地域名が記されていて、弟子たちの語ることを、集まった人たちはそれぞれ自分の生まれ故郷の言葉として聞いたとあります。これは弟子たちが急に外国語を話しだしたということではありません。弟子たちの教えがこの後に世界各地に広まったということを表現しています。事実、キリスト教は世界中に広まりました。それともう一つは、どんな人にでも分かる言葉で語ったということです。「神の偉大な業」(2:11)のことだと誰もが分かりました。つまり聞いた人たちがどれだけ多様であっても、一応内容は通じたということです。

 これは考えようによっては、大変なことです。どんなに言葉を尽くしても、相手に通じないことはいくらでもあるからです。例えば、親しいはずの親子や夫婦でも通じないことは少なくありません。それほど人は違った考え方や価値観で生きています。しかし「神の偉大な業」については、皆にそれなりに通じたというのです。

 さて以上のことを踏まえて、私たち自身のことを考えてみたいと思いますが、はたして私たちは弟子たちのように語るべき言葉をもっているかということです。私たちは、自分の信仰について相手に分かる言葉で伝えられるのでしょうか。弟子たちは「神の偉大な業」を語ったのですが、それを私たちの言葉で言い換えるならば、キリストの「福音」ということになります。私は福音とは、どんな人も例外なく神の子であり、神の愛の中で生かされ、絶対的に肯定されていることだと思っています。でもそれが福音ではなくてキリスト教の教義になると、十字架だとか復活だとか贖罪とかいうことになります。そうなってしまうと、信者以外の人たちには全く通じない言葉になるのです。私たちは教義を突き抜けて、その先にある福音を語るべきなのでしょう。

 最近よく思うことは、共通の話題ということです。親しい友人仲間や夫婦であっても、最後まで共通の話題にできるものはごく限られているのではないかということです。仕事や趣味が共通なので話が合うということはあるでしょう。しかし最後の最後まで残るのは、心の奥にあるその人の信心のような気がします。もしそこで通じ合うのなら、これほど幸いなことはないでしょう。

 神の偉大な業や福音は普遍的なものだと思います。だから教会用語を用いなくても、本質的なものは通じ合えるはずです。親しい人たちとそれを共有したいものです。

(牧師 藤塚聖)

 

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2020年5月24日(日)10:30~

   聖書 使徒言行録2章14~36節

 説教 「イエスの後に続く」

​ ​牧師 藤塚 聖 

 

 イエスの死後、弟子たちは、聖霊を受けてやっと立ち直り、どうにかこうにか自分なりの確信に至りました。弟子の中心であるペテロは、集まってきた人たちにそのことを語りました。内容は、まず自分たちは聖霊をうけた(17節以下)、神から遣わされたイエスは、神の意志を伝えた(22節)、しかしユダヤ人たちのせいで処刑された(23節)、しかしそれで終わらずに、神はそのイエスを復活させ(24節)、メシアとした(36節)ということです。

 これを聞いた人たちは、大いに心を打たれて(37節)、この日に三千人が洗礼を受けたとあります(41節)。とはいえ、詩編の引用は相当にズレているし、殺されたイエスが復活してメシアとなったという一方的な話に、多くの人が心打たれたとはとても思えません。著者のルカは最初の教会を相当に理想化しているので、その辺りは差し引いて考えねばなりません。それでも、とにかく弟子たちが自分たちの確信を語り始めたということは確かだったと思います。

 さて私の疑問としては、果たして弟子たちはイエスの遺志を正しく引き継いだのかということです。なぜならば、イエスは「神の国」を語ったのに、弟子たちはイエスの「死と復活」を語っているからです。ある人は、このズレにこそキリスト教信仰の意味があると評価しますが、私には必ずしもそうは思えません。このズレがあるから、キリスト教信仰は非常に分かりにくくなっているし、キリスト教が抱える問題の大きな原因になっていると思うからです。

 ズレについては次の三つの見方があります。第一は、イエスと弟子の宣教内容は同じであって矛盾しないというもの。第二は、弟子はイエスの教えを歪めてしまい違う方向に行ってしまったというもの。第三は、弟子はイエスの宣教を展開したことによって、受け継いだ面と受け継げなかった面があるというものです。イエスと弟子たちの説教の内容を比較すると、第一の見方はほとんど成り立ちません。とはいえ、第二の見方も少し厳しすぎる気がします。 

 弟子たちは、イエスは死んで終わりでなく今も自分たちと共に生きていると信じました。そしてそこに神の赦しと愛を確信したのでした。それはイエスが語った「神の国」と重なる面があります。しかし弟子たちは神の国の現実よりも、それを伝えたイエスという存在の方に重心がかかり、それが行き過ぎてイエスを崇拝の対象にしてしまいました。

 また弟子たちとは一線を画したパウロは、十字架と復活よりも「律法からの解放」を説きました。それもイエスの語った「神の国」と重なりますが、パウロはいつも律法主義が念頭にあるので、それに馴染まない人には非常に分かりにくいものになりました。

私 はイエスキリストを信仰するとは、単純にイエスのように生きることだと思います。あるいは、イエス自身が語り、イエスをあのように生かしたもの、つまり神の国や神の愛を信仰の原点にすることだと思います。そうであるならば、弟子たちにとっての「十字架と復活」、パウロの「律法からの解放」は、そこに至る一つの道として見るべきでしょう。このように信仰については、中心とそこに至る道を分けて考えることが大事だと思います。 

(牧師 藤塚聖)

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2020年5月31日(日)10:30~

   聖書 使徒言行録1章9~11節

 説教 「残された弟子たち」

​ ​牧師 藤塚 聖 

 

 イエスが天に上げられて見えなくなった(1:9)という話から、私たちは何を教えられるでしょうか。その前に、弟子たちはイエスから40日間にわたり「神の国」について教えられたとあります(1:3)。これは弟子たちが立ち直るためのリハビリの期間というか、この間に彼らはイエスの悲惨な死の意味や自分の生き方などを深く考えたのではないでしょうか。そうして自問自答する毎日の中で、弟子たちは復活のイエスが教え導いてくれたと感じたことでしょう。そしてそういうことがあってから、イエスは弟子たちの前から、まるでアドバルーンのように天に上って雲に覆われて見えなくなるのですが(1:9)、これは、イエスはもうここにはいないということを、これ以上ないほどはっきりとして形で言い表しているのだと思います。

 それまでの弟子たちは、イエスに頼り切っていて、何から何まで教えてもらい、まったく人任せで、ただ後にくっついていくだけでした。しかしもうそうはいきません。これからは自分たちの力でやっていかねばならなのです。イエスがもうここにいないからこそ、自分で考えて行動しなければならないし、そのためにも、イエスは完全に弟子たちの前からいなくなる必要がありました。

 さてこのような弟子たちの状況は、今の私たちの状況と全く同じだと言えます。イエスから直接いろいろ教えてもらえるわけではないし、自分で考えて、自分でやっていくしかないのです。イエスの代わりに聖霊が下ると言っても、困ったとき聖霊が手取り足取り助けてくれるわけでもありません。ただ言えることは、弟子たちがここで初めて自覚的、自主的になったということです。それまでは信仰についてそんなに真剣ではなかったと思います。しかしイエスがいなくなったことによって、はじめて真剣に向き合うことになったのだと思います。そういう大きな変化こそが、聖霊が下ったということなのでしょう。

 聖霊は、ヨハネ福音書では「弁護者」(14:26)と言われています。つまり、イエスの言動を思い出させ、イエスのことを代弁するというのです。弟子たちはイエスのことを思い出しながら、それを基に自分たちで考えて行動していきました。私たちなら、聖書にあるイエスの教えや言動に教えられながら、日々歩んでいくということでしょう。

 弟子たちは、いなくなってはじめて、イエスに本当の意味で出会えたのかもしれません。本当の出会いは、人の考え方や生き方に大きな影響を及ぼすものです。故人との関係にも似たところがあるかもしれません。いなくなってから存在の大きさに気づいたり、生前より深く理解できるようになることもあります。弟子たちは、イエスがいなくなってからそれに気づくことになりました。

 それならば、私たちは本当にイエスに出会えているのでしょうか。私にとってイエスはどういう存在なのでしょうか。勝手な思い込みや幻想ではなく、人からの借り物でもなく、自覚的に自分の手でつかみとっているのでしょうか。そしてそれに心から納得しているのでしょうか。もしそうであるならとても幸いなことです。

(牧師 藤塚聖)

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