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​過去の礼拝説教集2024年1-6月

2024年1月7日(日)10:30~ 

   聖書  ルカによる福音書21章7~19節

 説教 「終わりを生き

​ ​牧師 藤塚  

 21章には「世の終わり」に何が起こるのか記されています。私はここを読むと気持ちが重くなるのですが、それでも「終末論」は教義学の主要なテーマとされているので、今回は自分なりに踏み込んで考えてみたいと思います。

 まず私たちは「終末」をそれほど意識していないと思います。神が天地を創造したのなら、その終わりもあるだろうという程度です。しかし聖霊を強調するペンテコステ派のような教会は、「終わりの日」の「キリストの再臨」、「空中携挙」、「最後の審判」など非常に重視しています。「使徒信条」の最後も、キリストは「天から来て、生きている者と死んでいる者とを裁く」とあるし、日本キリスト教会の信仰告白も、「終りに日に備えつつ、主が来られるのを待ち望みます」とあります。

 そこで素朴な疑問が幾つかあります。いつか「世の終わり」があるとしても、私たちの生存中とは考えられないことです。パウロも若い頃は生存中にあると考えたようですが(1テサロニケ5:15)、晩年には変わりました(ピリピ1:23)。パウロでもそうなのだから、おそらくこれから先もないのだろうし、むしろ自分の死の方が先でしょう。それなのになぜ待たないといけないのか不思議です。

 またイエスの復活の考え方は、死んでもすぐに復活して、神の子として神と共に生きるというものです(20:36以下)。だからわざわざ「終わりの日」まで復活を待つ必要はありません。もしそうなら、関連する再臨も最後の審判も不要になります。そもそも「万人救済」ならそれらは一切不要であり、私たちは生きていても死んでも、神の子として何の心配もなく全てを神に委ねられるのです。私たちが考えるべきことはそれでいいのではないでしょうか。

 さて、21章は「終わりの日」が来る前に起こることが沢山記されています。戦争や暴動、地震、飢餓、疫病(9-11節)、また信者への迫害や裏切り(12-17節)、そして軍隊によるエルサレムの破壊があり(20以下)、その後に宇宙的な激変が起こり、「人の子」が雲に乗ってやってくるというのです(25-27節)。後に教会はこの「人の子」をイエスと同一視して、再臨信仰にしてしまいました。

 さて、イエスの時代は、黙示思想が広く浸透して、世の終わりに対する関心が高まっていた時期でした。21章のようなことは、誰もがよく知っていたのです。従ってイエスの意図は、世の終わりを聞き知っていたとしても、そんなことに心奪われるのではなく、むしろ落ち着いた生活を勧めることにあったのでしょう。それらが「おびえてはならない」(9節)、「命を勝ち取りなさい」(19節)、「身を起こして頭を上げなさい」(28節)、「いつも目を覚まして祈りなさい」(36節)ということです。世の終わりに動揺するのではなく、いつも目覚めて、地に足をつけて、自分のなすべき責任を果たしなさいと勧めているのです。

 マルティン・ルターは、「たとえ明日世界が滅ぶとも、今日リンゴの木を植える」と言いました。これがイエスの言いたいことかもしれません。

(牧師 藤塚聖)

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2024年1月14日(日)10:30~ 

   聖書  ルカによる福音書21章25~28節

 説教 「人間の不完全さ

​ ​牧師 藤塚  

 

 先週は、たとえ「世の終わり」があるとしても、それに心奪われず地に足つけた生き方が大切であると話しました。イエスも世の終わりを否定はしないが関心はなかったと思います(25以下)。というのもイエスの考え方は「終末論」ではないからです。

 私は漠然と、古い世界が終わり新しい理想的世界が実現するという終末論は、希望の表現であり良いのではないかと思っていました。しかし調べてみると、この思想が世界に争いや分断を生み出し、多くの問題を拡散してきた元凶であると分かりました。まず旧約聖書の中には大きく分けると「創造論」と「終末論」の二つの流れがあるようです。結論としては、イエスは創造論の考え方なので、私たちもそこに軸足を移して、自分の信仰を考え直すべきではないかと思います。

 まず終末論は、人間世界の悲劇や矛盾を前にして、人の力ではどうにもならない絶望とあきらめから始まります。そして神によって全く新しい世界に刷新される期待と希望を語ります。イザヤの救済預言はその典型であり、理想的な王によるイスラエル民族の復興が語られます(9:5以下)。それは神の完全さが、理想的な形で人間世界に実現するということです。ここで問題なのは「二元論」にあるようです。否定される古い世界と来るべき理想的な世界は、滅ぶべき罪人と正しい義人という区別につながります。またこの思想は自分たちを苦しめるこの世に対する恨みがあり、神が報復することを期待するのです(10:5以下)。つまり自分が救われるために、必ず敵を必要とする考え方なのです。

 こうしてみると、キリスト教の歴史とは酷いものです。異端を火あぶりにして、魔女狩りして、宗派の違いで殺し合い、植民地政策で他の宗教や文化を徹底的に潰してきました。これは義人である自分たち以外は滅びでも構わないという終末論ならびに二元論的な発想なのです。またこれは現代では、圧倒的な経済格差を是とする新自由主義に連なります。それは多くの貧困者を生み、環境破壊を進め、人が自分を神とする傲慢の現れの何ものでもありません。 

 一方の創造論は、神だけを支配者とするのが前提としてあり、預言者は常に王政を批判してきました。人が人を支配することは許されないのです。それは人が不完全であり、愚かで、その思うところは常に悪だからです(創世記6:5)。そしてそれを神の前で反省して、いつも忘れないことが創造論の基本にあります。そもそも人は土のチリから造られたのですから(同2:7)。そして神はそれを良しとされました(同1:31)。

 このようにイエスは断罪の神ではなく、不完全な者をそのまま生かす神を語り「二元論」を否定しています。神に造られたこと自体が祝福なのだから、与えられた命を精一杯生きればいいのでしょう。人は義人にはなれずに不完全だからこそ、愛と赦しが中心になるのです。

 私たちは、無自覚なままで終末論的な歪んだ価値観に染まっています。人間の不完全さをごまかさずに認め、人を義人と罪人に区分けする傲慢さに気付くべきです。早く終末論を卒業して、創造論を軸とする生き方に変えていきましょう。 

(牧師 藤塚聖)

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2024年1月21日(日)10:30~ 

   聖書  ルカによる福音書5章27~32節

 説教 「食卓の交わり」

​ ​牧師 藤塚  

 

 イエスとパウロを比較すると、その教えには大きな違いがあります。それはイエスが「創造論」を、パウロは「終末論」を基本にしているからです。終末論の大きな問題は、理想世界実現の希望を語るのはいいとして、そのために現世を否定することにあります。しかしたとえ不完全な世界であっても、その中で理想を目指して少しでも近づければそれで良いのではないでしょうか。創造論の考え方ならば、不完全な人間をそれでいいと祝福してくれるのです。

 そこで私たちは、創造論に即して生きたイエスの言動に学ぶことが大切だと思います。今回は「罪人との食事」に注目してみましょう。イエスはパリサイ派から「大食漢で大酒のみ」(7:34)と批判されるように、罪人として差別される人たちと頻繁に会食していました。中でも徴税人は極端に嫌悪されていました。敵国ローマの手先として金を徴収するのだからどうしてもそうなるのです。他には血液と接触する皮職人や食肉業者、物乞い、障碍者、娼婦などが罪人と呼ばれました。イエスの周りは漁師も中産階級もいて、これらの雑多な人たちが何の分け隔てもなく一緒に食事を楽しんだのです。

 さて、このような会食がなぜ人々を引き付けたのでしょうか。古代の中東では会食は友情と信頼のしるしでしたが、イエスの会食はそれを上回る喜びがあったようです。それは無条件で受容される幸福感だったと思われます。イエスは何も求めず、一緒に楽しく食事して、対等な人間であるという当たり前のことを示しました。何の資格もいらずに参加できるのは、日常の価値観が逆転する経験だったのではないでしょうか。参加者は人間回復して、本来の自分になれたのです。イエスはこのことを「私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くため」(32節)と言っています。しかしルカは「悔い改めさせるため」と付加して、イエスの真意を台無しにしてしまいました。

 この会食には外からの差別は意味を失います。イエスは文句を言う者たちに「徴税人と娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう」(マタイ21:31)と諭すのです。さらに内部でも参加者同士の差別が解消します。徴税人と娼婦も普段なら決して仲間になれないでしょう。しかしこの会食では偏見は消えるのです。つまり自分を取り戻すことで、相手も受け入れられるのでしょう。

 朝日新聞「折々のことば」(1/8)によると、これと真逆のケースがナチス収容所でありました。顔面にあざのある女性が、収容所に放り込まれてからやっと誰とでも対等になれたと思ったというのです。そこでは出自や財産や地位は意味を失い番号で呼ばれます。つまり人格が否定されることで、差別が解消されたのです。

 自分を取り戻すことで差別が消え、誰とでも対等になれる場所がイエスの会食でした。参加者はそこでどれだけ励まされたでしょうか。きっと勇気を持って生きて行こうと思えたことでしょう。教会の礼拝がそういう場所であるならば素晴らしいことです。

(牧師 藤塚聖)

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2024年1月28日(日)10:30~ 

   聖書  ルカによる福音書5章12~16節

 説教 「病んだ社会のいやし

​ ​牧師 藤塚  

 福音書を読むと、イエスは日々「教え」と「会食」と「癒し」に関わっていたようです。病気の癒しに関しては、イエスにはカリスマ的な力があったと思います。だからこれほど沢山の話が後世に伝わっているのでしょう。ストレスが病気の大きな原因なので、それが解消するだけでも改善すると思われます。さすがに死人の復活となると伝説化されていますが、皮膚病などは本人がイエスに直に触れてもらい「清くなれ」と宣言されたのなら、本当に治ったと思えたことでしょう。

 病気の中でも皮膚病患者は物凄く差別されました。町から追い出されて、離れた場所に隔離され、治療も施されずに後は死んでいくのを待つだけでした。感染防止の側面もありますが、それ以上に酷いのが宗教的に穢れていると見なされることでした。罪による穢れとされて、誰からも同情されないのです。

 そういう状況で、イエスが病人に触れたのは凄いことです。らい病と他の皮膚病の違いを知っていて大丈夫と判断したのか、そうでないとイエス自身も感染してしまうのです。少なくとも、イエスは宗教的な穢れなど全く意に介していなかったのでしょう。だからこそ躊躇なく手を差し伸べて、触れることができたのです。病人はそうされることで、凄い衝撃を受けたのではないでしょうか。

 イエスの癒しの目的は、治癒そのものより社会復帰させることにありました。そのために、祭司による診断を勧めました(14節)。家に帰るには完治の証明が必要だからです。レビ記13章から14章にあるように、証明には相当な時間と費用と忍耐が求められます。イエス自身はばかばかしいと思っても、急がば回れということなのでしょう。

 さてこの話の焦点はどこにあるのでしょうか。問題は病そのものではなく、病に侵された人を穢れとして葬り去る社会通念にありました。生まれながらの盲目や(ヨハネ9:1)、災難や不幸は罪を犯したことの報いとされ(13:2)、苦しんで当たり前とされました。弟子たちもその社会通念を普通に受け入れていました。それに対してイエスは明確に否定したのです(ヨハネ9:3、ルカ13:3,5)。

 現代日本においても、戦前に定められた「らい予防法」が廃止されるのに65年かかりました(1996年)。患者を強制隔離することで長きにわたり差別を助長してきたのです。ましてや、古代においては人として見られなかったことでしょう。病気や災難を本人の罪の結果と考えるのは、実はその社会が病んでいて歪んでいることだと思います。イエスの癒しは、そういう社会への異議申し立てであり、人間性の回復でした。

 病気さえ治れば罪が清められたとされるので(13節)、イエスは積極的に癒しを行いました。そして治った人には、度々「家に帰りなさ」、「安心して行きなさい」と言葉をかけたのでした。イエスは神の子だから奇跡的な力があったという話ではなくて、そのような社会的な意味があったことを忘れてはいけないでしょう。 

(牧師 藤塚聖)

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2024年2月4日(日)10:30~ 

   聖書  ルカによる福音書5章17~26節

 説教 「あなたの罪は赦された

​ ​牧師 藤塚  

 

 聖書には「罪」の記述が多いので、教会でも罪ばかり語られています。有名な「ハイデルベルグ信仰問答」もほぼ罪の説明から始まります。しかし私は幸か不幸か罪について深刻に考えることはありませんでした。それよりも、聖書から教えられたのは「神の愛」であり、赦されているという感覚の方がずっと大きかったのです。罪意識に悩む人に「贖罪論」は有効かもしれませんが、せっかく自己肯定できている人がわざわざ罪意識をもつ必要はないと思います。

 イエスが問題にしたのは社会的な「罪」でした。従って私たちが思う「原罪」などはまったく問題にしていません。罪とは神の掟(律法)に違反することであり、殺人や盗みや偽証、いわゆる犯罪がそれに当たります。しかしそれ以外にも、職業的に律法を守れない人も沢山いました。血液に触れる仕事や船乗り、安息日にも仕事を休めない人、異邦人とそれにかかわる人。また、病人や障碍者も罪人とみられました。病や障碍や不幸は犯した罪に対する神の罰と考えられたからです。そんな考えをイエスははっきりと否定しています。

 さて、中風の人の癒しでは、神の罰という考え方をひっくり返すことがイエスの意図でした。病の原因となる「罪」なんて元々ないことを言いたいのです。しかし病は罪の結果だと心底信じている人たちに、罪はないと言っても通じないので、まずは「あなたの罪は赦された」(20節)と宣言して安心させました。そして罪の消滅が誰の目からも分かるように、中風という病の癒しを行ったのです。病人自身も周りの人たちも納得させるためでした。繰り返しますが、イエスの本心としては罪など最初からないのです。

 イエスのやったことも見て、律法学者とパリサイ派は神を冒涜する行為、つまり掟破りと見なしました(21節)。「罪の赦し」はエルサレム神殿の祭司の専売特許だからです。それは神殿による支配自体を否定することにもなるから大変なことでした。イエスは更に「人の子が地上で罪を赦す権威をもっていることを知らせよう」と言いました(24節)。つまり罪という社会通念は人が作ったものだから、人自身がそれを是正できることを身をもって示したのです。

 さて最後に、イエスはパウロのような罪意識を持っていたのでしょうか。きっとパウロのように内面的な罪に苦しむことはなかったと思います。人が不完全であることや正しくないことを知ってはいても(マルコ10:18)、イエスにとっては神の愛の方が重要だったのではないでしょうか。それでも「主の祈り」にあるように、隣人の負い目を赦しますから、私の負い目も許してくださいと祈りました(11:4)。人生経験を積めば誰もが分かることですが、私たちは色々な意味で神と人から負い目を赦されて、今ここにあると認めざるを得ません。完全な人間などいないからです。だからこそお互いに愛と赦しが大切なのではないでしょうか。

(牧師 藤塚聖)

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2024.01.07
2024.01.14
2024.01.21
2024.01.28
2024.02.04

2024年2月11日(日)10:30~ 

   聖書  マタイによる福音書20章1~16節

 説教 「人間の平等

​ ​牧師 藤塚  

 

 私たちは人と関わるとき、相手がどういう人物か知った上で、関わり方を考えるものです。どこで何をしているかを尋ね、少しでも素性を知ろうとします。多分そうしないと不安なのだと思います。イエスはそうではなく、ありのままの相手と、何の先入観も持たずにつきあったのではないかと思います。むしろ誰も相手にしないような人と仲間になりました。どうしてそうできたのでしょうか。

 ぶどう園のたとえ話が、その参考になるかもしれません。主人が労働者を雇った時刻が、朝の6時に始まり3時間ごと夜6時までとなっています。だから一番働いた人は12時間働いたことになります。最後に雇われた人はわずか1時間です。それなのに賃金が皆1デナリだったので文句が出たという訳です。労働者はみな1デナリの賃金で合意していたはずでした(2節)。だから不満の理由は、1デナリという金額ではなく、働いた時間によって差をつけなかったことにあります。このように人は他者との間に序列をつけないと気が済まないのです。

 最後まで雇われなかったのはどういう人たちでしょう。日雇い労働では、たいてい若い健康な男性が選ばれます。高齢者や身体的なハンデのある人ははじかれます。女性や子供は論外です。それでは彼らは生きていけません。皆が生きていくためには、働きに応じた賃金がいいか、皆同じ賃金がいいか、どちらが正義なのかという問いなのでしょうか。

 もっと踏み込んで考えるならば、この話は人の根源的な平等性が語られているように思います。ぶどう園の主人は、「この最後の者にも、…同じように支払ってやりたいのだ」と言いました(14節)。つまり人の存在というのは、その働きとは無関係に全く等しく価値づけられているということでしょう。しかし私たちはどうしても互いに比較し合い、勝手な基準で優劣をつけてしまうのです。そしてそのことでかえって自分を傷つけ他者を貶めているのです。

 問題は、私たちが物心ついた時から教え込まれている価値観にあるでしょう。小学生の時から成績やスポーツの出来で優劣をつけられ、受験競争と就職活動で選別され、最終的にはどんな職業で年収はいくら等々、人生における勝ち組と負け組になり、人の価値に違いがあるように思わされています。そういう私たちに、イエスは人間存在の根源的意味を教えてくれます。そこから見るならば、どんな人のどんな人生も優劣ではなく同価値なのでしょう。

 NHKの「ドキュメント72時間」という番組は、特徴ある場所で三日間取材して、スタッフが来訪者から話を引き出すというものです。「資格取得専門学校」や「長距離バスターミナル」など、そこで出会う人は皆それぞれの人生を背負っていて、それを見ていると、本当に百人百様でありながら皆かけがえのない人生だと思えます。そしてその一方で、世間の価値観に流される自分もいます。だからこそ、目を覚ますために、イエスの言葉に聞き続けていく必要があるのでしょう。 

(牧師 藤塚聖)

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2024年2月18日(日)10:30~ 

   聖書  ルカによる福音書18章15~17節

 説教 「神の国とは何か

​ ​牧師 藤塚  

 

 イエスは「神の国」について多く語っています。しかしそれが何を意味するかは、研究者によって意見が割れています。当時も色々な意味で使われました。「国」と訳された言葉は「支配」の意味なので、神の国とは「神が王として支配すること」を表しています。だから人が人を支配することへの反論として「神の国」が使われました。旧約預言者の王政批判はその典型です。しかしそれよりも終末論的な意味で使われることが多かったようです。人々はローマの支配が排されて、神の直接介入による「神の国」の到来を熱望していました。だからそれがいつなのか盛んに議論されたようです(17:20)。

 しかしイエスはそのような「神の国」には殆ど関心を示していません。むしろ神の国に入る資格があると自負する人たちに対して、批判するために言及しています。もし「神の国」があるとするなら、徴税人や娼婦の方があなたたちより先にそこに入ると言っているからです(マタイ21:31)。つまりイエスは広まっていた終末的な神の国についての考え方を否定しているのです。

 それを明らかにしているのが、「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」という言葉です(18:17)。大人はそこに入りたいと苦労しているが、子供は当たり前に受け入れているということです。イエスはよく自然界になぞらえて「神の国」を語り、農夫のまいた種が、そのまま自然に育って実を結ぶ様に重ねています(マルコ4:25以下)。それと同じように、子供が余計なことは考えずに、与えられている命をそのまま自然に生きていることが、神の国を受け入れることなのでしょう。そうであるなら、命を与えられ生かされている事実そのものが「神の国」であり「神の支配」ということになります。

 それに比べると、私たちは何と無駄なことに頭を悩ませて生きているかということです。神の国を終末論として考えるのもその一つです。そこに入るために宗教的に熱心か否か、勝手な尺度を作り出して、永遠の命を得るために苦悩して、すでに神の支配の中にいるのに(17:21)、その有難さ

に気付けません。小さな子供は過去も未来も気にせず、今だけを生きています。当然人の身分や地位や業績など関心ありません。イエスはそうであれと言っています。

 しかし大人になってしまった私たちには、それは相当に難しいことです。 今更子供にはなれないからです。それでも人生経験により学んだこともあります。人は不完全でも肯定されて生きていることを。イエスも律法より人生経験や自然から多くを学んだのではないでしょうか。駆除されるカラスや邪魔になる草花でも神に養われていること(12:22以下)、神は人を選ばずに太陽と雨の恩恵を与えていること(マタイ5:45)など、人の基準と関係なく、命あるものは全て神の働きを受けて生かされていることが肝心なのです。それが本当に分かるなら、私たちはどんなことにも感謝して生きることができるでしょう。

(牧師 藤塚聖)

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2024年2月25日(日)10:30~ 

   聖書  マルコによる福音書1章1~8節

 説教 「福音のはじめ

​ ​牧師 藤塚  

 マルコ福音書はイエスの誕生には全く触れていません。聖者伝説になるのを避けたのでしょう。そこでいきなり洗礼者ヨハネの話からはじまっています。マルコはヨハネをイザヤ書で預言された人物ととらえています(2節)。引用には出エジプト記(23:20)とマラキ書(3:1-3)も含まれますが、とにかく「終わりの日」には預言者エリヤが再来すると広く信じられていたので(マタイ11:14、14:5)、マルコもヨハネをそのように理解したのでしょう。

 ただしヨハネは自分の活動を、終末の神の審判に先立つものと考えていたので、「後から来られる」「優れた方」(7節)は当然神を指しています。それをマルコはイエスであるような話にしてしまいました。マタイはそれをさらに強調しています(3:14)。確かにイエスの活動はヨハネのユダヤ教改革運動の狭さを大きく超えるのですが、実際にはイエスはヨハネを尊敬して、洗礼を授けてもらって活動に加わり、師弟関係でいえば弟子になります。しかしキリスト教会は、ヨハネ死後のヨハネ教団とライバル関係だったので、イエスをヨハネより上位にする必要があったのでしょう。ヨハネ教団からすればとんでもない話です。

 さて今回は冒頭の「神の子イエスキリストの福音のはじめ」(1節)について考えてみたいと思います。まず「神の子」の肩書は加筆と考えた方がよさそうです。なぜならば有力な写本には欠けているからです。信仰者はイエスが神の子で当然と思いますが、マルコは歴史の中で生きた人としてイエスを描きたかったのだと思います。次に「福音」ですが、宗教用語ではなく普通に「良い知らせ」という意味です。この言葉をキリスト教信仰を指すものとして広めたのがパウロです。そこでパウロの信仰内容とはどういうものかというと、生きたイエスについては全く語らず、十字架で死んで、その後神に代わって再臨して審判を行うといういわゆるドグマです。パウロはこのドグマを「福音」と言い換えました。パウロの影響は甚大で、「使徒信条」の内容もそうだし、教会が教えている信仰内容もこのようなことではないでしょうか。 

 それに挑戦したのがマルコ福音書です。すでに教会で広まっていたパウロの福音に対抗して、イエスという人がどのようにして生きて死んでいったのか、イエスという人の存在自体が「福音」だということを、マルコは伝えたかったのです。当時教会内ではパウロの手紙しかなかった時代に、これは画期的なことだったでしょう。

 信仰を考えるに際して、パウロの教えはドグマなので、律法と同じように疑問があったとしても受け入れるしかありません。マルコは物語という手法なので、それを読んでどう思うか、読み手に委ねられます。それは生きたイエスの話に触れて、自分で考え判断できるということです。私はキリスト教というものが、原点であるはずのイエスから遠い気がしてなりません。そこで自分の信仰がパウロ型なのかマルコ型なのか、考えてみるだけでも意味があるかもしれません。

(牧師 藤塚聖)

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2024年3月3日(日)10:30~ 

   聖書  マルコによる福音書1章21~28節

 説教 「権威ある教え

​ ​牧師 藤塚  

 

 古代社会では、自然災害や病気や障碍など合理的に説明できないものはなにかにつけ「霊」のせいにされていました。従って病人には「悪霊」がついており、治れば出て行ったと考えられたのです。イエスが癒した人は、所かまわず大声で叫ぶので幻聴や幻覚があったかもしれません。また癲癇の症状もありました(23,26節)。

 その時のイエスの言動は、そこにいた人たちに大きな驚きを与えました。普段接している律法学者のようではなく、「権威」と「新しさ」があったというのです(22,27節)。ところで律法学者とはどういう人たちだったのでしょうか。かつて律法学者と祭司は兼務だったのですが、専門化が進むことで分業になりました。律法は日常生活全般に関わっていたので、専門家である律法学者が幅を利かせていました。今で言う裁判官や弁護士のようでもあり、宗教規定や裁判法規も徹底的にマスターするので、認められる頃には40才位になったようです。それまでに相当修練を積む必要がありました。普段は会堂での宗教教育や安息日礼拝で教えていました。但しその教えは、律法のここにこう書いてあるとか、自分の先生がこう言っていたとか、聖書や先輩教師の権威を借りているにすぎず、病気の原因にしても、本人の犯した罪の報いを説くだけで、人々は不満に思ってもそれで納得するしかありませんでした。

 また彼らは富裕層ではないが貧しくもないという中産階級であり、商工業者や独立農民に支えられたようです。従って彼らの律法解釈はそれらの中産階級の利益を優先し、便宜を図る傾向があったと思われます。

 そういうことに慣れていた人たちの目には、イエスの言動は全く違うものと映ったのでしょう。イエスは律法の権威も神の名も借りることなく、誰が見ても当然のことを自分の責任で明言したからです。例えば、生まれつき盲目なのは犯した罪のせいではないとか(ヨハネ9:3)、安息日は人のためにあるのであり、人が安息日のためにあるのではないとか(2:27)、人が思っていても怖くて言えなかったことを、確信をもって語ったのです。悪霊につかれた人への対応もそうだったのでしょう。 

 語る人の深い経験に基づき、嘘偽りなく本当にそうだといえる言葉は、聞く人の心に響くことでしょう。さらにそれが本人の支持者や仲間にだけ目が向くのでなく、その都合に合わせることなく、誰が見ても公平で公正であるならば、そこには大きな説得力が生まれます。イエスの教えにあった「権威」とはそういうものかもしれません。

 この話を、イエスは「神の聖者」(24節)だから権威があったと読むなら違うと思います。誰であれ自己保身や私利私欲から離れて、公平で公正な言動であるなら、そこには権威が宿るのでしょう。簡単なことではありませんが、イエスは私たちに人間の可能性を教えていると思います。

(牧師 藤塚聖)

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2024年3月10日(日)10:30~ 

   聖書  マルコによる福音書1章29~34節

 説教 「奉仕と想像力

​ ​牧師 藤塚  

 

 イエスの活動は長くても3年位だったと思われます。短期間だからこそ、あのように激しい活動ができたと思います。イエスと弟子たちには収入がないので、支援者が支えたのでしょう。その後の教会は、その活動をそのままの形では継承できませんでした。普通の人には仕事も生活もあるからです。従って、教会は自分に出来る形で引き継ぎました。

 最近の研究によると、ペテロのしゅうとめの話はイエス後の教会の姿を示しているようです。マルコは前半のしゅうとめの癒しと、後半の悪霊払いの話を意図的につなげました。二つの話は、「伝承」として全く違う環境の中で成立しています。しゅうとめの話は、一般市民の中でつくられ、他にもイエスの教えや例え話なども中間層の中で伝えられました。一方で、イエスの悪霊払いを含め、病気や障碍の癒しは貧困層の中で伝えられました。社会から排除される者にとっては、癒しによる社会復帰が最大の願望だったからです。

 イエスは主に貧困層の中で働きました。それは定住することなく、各地を巡回する不安定なものです。イエス自身も「人の子には枕する所もない」と漏らしています(ルカ9:58)。現代においても、そのような働きは確かにあります。大阪西成区で生活支援や炊き出しをする「希望の家」や、本田哲郎神父の働きには頭が下がります。小市民の私たちにはなかなか出来ません。かつてある人から、イエスに従うならマザーテレサのようになるべきであり、そうでない殆どの信者は胡麻化していると言われました。今でも問いとして残っています。

 マルコの教会も、同じジレンマを抱えていたのではないでしょうか。普通の市民がイエスに従うとはどういうことか、自分なりの在り方をこの話に重ねたと思います。しゅうとめは熱が下がり、すぐに一同をもてなしました(31節)。同じ癒しでも、悪霊払いのような重さはありません。ただすぐにもてなす側になりました。「もてなした」とは、お世話や給仕ではなく「奉仕した」という意味です。イエスのような大変な活動のために、それを背後から支援するため、自分に出来ることをしたのでした。彼女もイエスの癒しを経験して、自分の小さな痛みをもっと苦しんでいる人への想像力に変えて、奉仕の力にしたということです。

 昨年11月に福岡市の西南学院大学でペシャワール会の40周年記念行事が行われ500人が集まりました。ペシャワール会はパキスタンで医療活動した中村哲氏の支援のため発足し、2019年にアフガニスタンで中村氏が亡くなった後も会員が増えているということです。私は20年位前に、北九州市で中村氏の講演を聴きました。印象に残ったのが、学生に向かって医療従事者になり一緒に働いてほしいと語ったことです。それが無理なら支援金を送ってほしい、それも無理なら忘れずに覚えてほしいと言いました。支援金もポケットマネーでなく、少し痛い思いをして一回のランチや一杯のコーヒーを削り、かの地の活動に思いを馳せてほしいということでした。

 私たちの教会は大きなことはできませんが、それを引け目に思わないでもいいと思います。奉仕の仕方は多様であり、想像力を磨いて自分の小さな痛みの経験を、より困難な人の痛みにつなげればいいのではないでしょうか。

(牧師 藤塚聖)

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2024年3月17日(日)10:30~ 

   聖書  マルコによる福音書1章35~39節

 説教 「人間のいやし

​ ​牧師 藤塚  

 

 雑誌「カトリック生活」2月号に、イエズス会の平井神父が「福音化」について書いていて、それは宣教と福音の力の双方で世を変革することだとありました。はたして教会の語る言葉に世を変革する力があるのか、そもそもイエスの語った宣教内容とは食い違っているのではないかと考えさせられました。

 イエスの宣教の内容は難しいものではなく、人は皆例外なく神の子であり、神に愛される大切な存在ということです。つまり絶対に失われない神との一体性です。しかし社会は全くそうなっていないので、それを阻むものと戦わざるを得なかったのです。

 イエスの活動を見ると、教えを説く話しより病気や障碍の癒しが圧倒的に目立っています。福音書の前半はそういう話で一杯です。それと並ぶのが悪霊払いであり、39節にも「宣教し、悪霊を追い出された」とあります。そこで私なりに単純化して、イエスの活動とは、第一に教え、第二に悪霊払い、第三に病気の癒しだったと考えました。そしてその中でも重要だったのは教えであり、それにより心の変革を促したのではないかと思います。人が変われば社会も変わるからです。しかし現実はそんなに甘くはないので、まずは目の前の病人を癒す他なかったのではないでしょうか。古代の抑圧された社会においては、病人や障碍者ほどその尊厳が否定される存在はないからです。

 人の尊厳を否定するものの背後にある全てを「悪霊」と言い換えてみてもいいかもしれません。病気は罪を犯した報いだとか、穢れているとか、人間扱いせず排除するとか、それらの働きを「悪霊」とするなら、イエスが霊払いするのは当然のことです。そうでないと人の心と体を蝕み、ストレスを与え続け、治るはずの病気も治らないからです。それらが解消するなら、病気も自然に良くなることでしょう。

 こうようにイエスが一番重視したのが教えることであり、その中心は神の愛や人の尊厳とその回復、安心して生きる権利と言えるかもしれません。二番目が、それを否定して阻むものを解消すること、つまり悪霊払いです。 

 そうすることで、様々な抑圧や偏見からの解放に努めました。そして三番目が病気や障碍のいやしです。しかしながら、このいやしは一番目と二番目の結果として成立すると言っていいかもしれません。極論するなら、たとえ病気が完治しなくても、神との一致を信じてストレスが解消して平安であるなら、人は幸福に生きることができるからです。その意味では、イエスにとって病気の癒しは最終目的ではなく、より良く生きる手段の一つだったかもしれません。

 私たちも、いつまでも健康とは限りません。年齢とともに体が不自由になり、人の手による介助や介護が必要になることでしょう。がんを抱えたまま生きるかもしれません。しかし必ずしも健康体でなくても、抑圧から解放され、心にしっかりとした支えがあるなら、日々穏やかに生きることができるでしょう。

(牧師 藤塚聖)

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2024年3月24日(日)10:30~ 

   聖書  ルカによる福音書23章32~43節

 説教 「人生の最後の対話

​ ​牧師 藤塚  

 

 本日は受難日礼拝なので、イエスの十字架に関連する話をします。しかし罪の贖いとしての十字架死ではなく、イエスと一緒に処刑された者たちとの対話について考えてみます。

 イエスと一緒に処刑された者がいたことは、4つの福音書の証言からして歴史的な事実だったと思われます。ただ簡潔に「イエスをののしった」(マルコ15:32他)とある中で、ルカだけは会話の内容まで詳しく記しています。そこでは「悔い改め」が強調されているので、これはルカの信仰による創作なのでしょう。それでも、人は死を前にして何を思うのかを考えさせられます。私たちも最後は十分に生きたと安心して死ぬのか、人生は虚無だと空しく死ぬのか、どちらなのでしょうか。

 犯罪人の一人は悪態をつき、もう一人は深く反省しているので、「楽園」に行く者とそうでない者とに運命が分かれるように読めます。子供の頃は、反省して楽園に行く方になりたいと願い、そうでないとアウトだと思ったものでした。ルカの意図もそこにあるかもしれません。しかし年齢を重ねるにつれ、人はそんなに単純ではなくもっと複雑であり、一人の中に醜悪な面と反省する面があると考えるようになりました。つまり二つの態度は、絶望感を別々の形で表しているということです。最初の人は俺を救ってみろと言います(39節)。つまり人生が空虚なので、死んでも死にきれないという訳です。後の人は、やったことの報いとして人生を諦めています(41節)。

 この二人の他に議員や兵士も口々に、自分を救ってみろとイエスをののしっています(35-37節)。彼らも自分の不安や恐れを、もっと弱い者にぶつけることで、そこから逃れようとします。無抵抗のイエスはそのはけ口でした。明らかなことはみな不安と恐れの中にあり、不確かなことではないでしょうか。つまり確かな土台を自分の中に持っていないのです。どんなに自分自身を掘り下げてもそこにはないので、それを他に求めるしかありません。「わたしを思い出してください」(42節)とは、人生が無ではないと思いたいということです。人生の根拠が自分にないと思い知らされて、イエスに求めています。根拠が確かであるなら、人生がどんなでも本当に生きて死ねるのに、それが見つからないのです。

 朝日新聞に「男たちの介護」という記事が載っていました。時代が変わり肉親介護者の四人に一人が男性になりました。それまで仕事漬けで家庭を顧みなかった負い目から、介護にのめり込み、精神を病むケースが多いようです。介護が限界を迎えたとき、絶望感や自責の念により自らの存在意義が崩れてしまいます。人は何を生きがいとして、最後に残るのは何か考えさせられました。

 「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(43節)とは、私たち全員に言われているのでしょう。楽園は「パラダイス」の意であり、元来は神が囲いを設けてその中にいる人を守る所です。だから神の囲いの中に私たちの命の土台があるのだから、立派であろうとそうでなかろうと、どんな人生でも十分に生きたと言えるのではないでしょうか。命の根に繋がれているのだから安心していいのです。

(牧師 藤塚聖)

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2024年3月31日(日)10:30~ 

   聖書  コリントの信徒への手紙一15章1~11節

 説教 「キリスト復活の意味

​ ​牧師 藤塚  

 

 キリストの復活について、昔の思い出があります。私が牧師試験を受けたとき、口頭試問で試験委員長から「復活を信じているか」と質問されて、私は曖昧に答えたようです。そのことはよく覚えていませんが、一緒に受験した友人が、その時の話を今でも面白く話してくれます。今改めて考えてみると、復活とは信じるか否かという問題ではなく、どう考えるか、どう受け止めるかという問題なので、その質問には違和感があったのだと思います。

 聖書には、復活したイエスが驚く弟子たちの前で魚を食べ(ルカ24:43)、トマスに傷跡をみせ(ヨハネ20:27)、ペテロと対話する(同21:15)話が記されています。私はそれを理性に反してそのまま受け入れるより、そこにどんな意味があるのか考える方が大切だと思います。

 さてパウロの手紙にも、5節から8節にかけて何度も「現れた」とあります。これを読むとキリスト自らが主体的に現れたように受け取れますが、言葉は「見られた」であって、見た人が主体としてそう思ったということです。つまり見たと「思った」ことが重要であって、それが彼らに何をもたらしたのかということです。

 3節から7節の部分は伝承として広まっていたようですが、実に多くの人に「見られ」ています。そこで代表してペテロとパウロに何が生じたのかを考えてみましょう。この伝承では最初にペテロが体験して、それが他の弟子たちにも伝搬したとあります。弟子たちにとっては全てをイエスにかけていたので、その死は絶望以外の何ものでもありません。しかもペテロは殉教を公言しながら、結局パニックになり見捨てて逃げました。これが二重三重の負い目になり自らを苦しめたことでしょう。ペテロが再びイエスを見たと思えたのは、そこに「裁き」ではなく生きてゆけとの「赦し」を見たからに他なりません。そうでないと立ち直れなかったでしょう。復活のイエスとの対話(ヨハネ22:15以下)は、彼のその内的葛藤が元になっていると思います。

 一方でパウロの体験はどうでしょうか。彼はイエスとは面識もなく、その無残な死を噂で知る程度だったと思います。そのイエスをメシアと信仰する教会が絶対に赦せませんでした。しかし十字架にかかったイエスの惨めな姿がパウロに見えたことで、彼の神への理解が逆転しました。つまり人は弱く不完全なままで神に肯定されるということです。自らの矛盾に苦しんでいたパウロはそれで救われたのではないでしょうか。

 このように、ペテロとパウロは立場を全く異にしますが、彼らの復活体験で共通するのは自らへの肯定と赦しだったと思われます。夫々自分の存在意義を見失っている中で、それでもいいから生きてゆけというメッセージを受け取ったのではないかと思います。私たちも彼らほどの体験でなくても、そういう気付きがあるのなら、それはパウロが言うように「キリストがわたしの内に生きておられる」(ガラテヤ2:20)ということではないでしょうか。

(牧師 藤塚聖)

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2024年4月7日(日)10:30~ 

   聖書  ルカによる福音書23章39~43節

 説教 「キリストの教会の本質

​ ​牧師 藤塚  

 

 本日はイースター後第一主日ですが、もう一度十字架刑の場面についてお話しします。イエスは自らを悔いている犯罪人に対して「今日わたしと一緒に楽園にいる」と約束しました(43節)。ルカは「悔い改め」を救済の条件と考えているので、前回はそれを問題にしました。私は聖書の中心は「万人救済」と理解しているので、ルカには批判があります。しかし、ルカだけでなく聖書には救済について条件や選別の要素も確かにあります。だからその中で何が本質なのかということなのでしょう。私は自分たちだけが救われることに問題を感じない信仰は不健全だし、そのような二元論はカルトと変わらないのではないかと思います。それ故に、イエスの十字架上の約束は一人の犯罪人だけでなく、皆に語られるべき言葉だと思っています。

 そう考えるきっかけの一つがカール・バルトの「イエスと共なる犯罪人」という説教です。通常なら、教会はイエスの死後に12弟子たちを中心に成立したと考えられていますが、バルトはこの十字架の場面こそ最初のキリスト教会だと言います。何故なら、教会とはイエスが共にいて、その約束を直に聞くところだからです。確かにこの場面では、犯罪人はイエスと共に十字架に繋がれています。イエスと同じように捕まり、死刑判決を受け、処刑されています。彼らの意志ではないけれど、イエスと同じ運命をたどっています。弟子たちがイエスを見捨てて逃げ去り、否認して離れて行ったのとは対照的に、犯罪人はイエスと切っても切れない関係にされました。だから弟子たちは後からこの確かな教会に繋がれたに過ぎません。「キリストと共に死んだら、共に生きることになる」(ローマ6:8)という言葉通りに、彼らの意志を超えて、彼らは最初のキリスト教会になったというわけです。

 教会とはこうだという定義にあてはめると、二人の犯罪人がまさにそれに該当するので、彼らこそ教会だという三段論法です。かなり強引で驚きの内容ですが、教会や信仰というものを狭く考えないで、普遍的な広がりの中でとらえることを教えられました。こうなると、犯罪人の一人が救わ

れて、もう一人は救われないという話では全くないのです。私たちは信仰者とはこうあるべき、教会とはこうあるべきと教えられてきました。しかしバルトが言うのは、こちら側の事情とは全く関係なく、私たちの意志や理解を超えて、神の側で何がなされているかということです。つまり神の「絶対的な恩寵」です。そもそも私たちはイエスキリストをよく分かっているとは言えません。それなのに不思議にも教会に繋がれています。またその私たちを通して教会を知っている人たちも、もしかすると教会の一部にされているのかもしれません。そう考えるなら、この世界全体がキリストの教会であると言っていいのかもしれません。

 コップの中の狭い世界ではなく、もっと大きな広がりの中で教会や信仰を考えることは、私たちを解放して大きな勇気を与えてくれます。

(牧師 藤塚聖)

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2024年4月14日(日)10:30~ 

   聖書  マルコによる福音書1章40~45節

 説教 「イエスの憤り

​ ​牧師 藤塚  

 

 福音書を読むと、イエスが病人に対する偏見や差別とずっと闘ってきたことが分かります。この度も、イエスは重い皮膚病を患っている人を治しました。しかし何故か、ずっと苛立って怒っている様子が記されています。イエスは「深く憐れんで」(41節)、その人に触れたとありますが、有力な写本では「怒って」となっていて、その方がその後の「厳しく注意して」(43節)にうまくつながるようです。憐れむと怒るとでは真逆な印象になりますが、もし怒ったのなら何に対してだったのでしょうか。

 一つ考えられるのは、この病人の態度でしょうか。イエスへの懇願が回りくどいのです。「どうか治してください」ではなく、本当にできるのならみせてくださいというニュアンスです。本心からの信頼ではなく、イエスが宗教的な穢れを認めないのを疑っていることになります。だから頭にきて、穢れなど存在しないことの証明として、皮膚病に直に手を擦れたのでしょうか。

 それにしても、当時恐れられた皮膚病に直に触れるとは凄いことです。経験的にらい病ではないと判断したのでしょうか。らい病なら感染して大変なことになります。それとも自分の治癒能力を信じていたのでしょうか。キリスト教の「救らい運動」を批判的に研究した荒井英子さんは、著書「弱さを絆に」の中で、自分の体験を記しています。あるハンセン病療養所を訪問したとき、そこの喫茶店で大好物のお汁粉が喉を通らなかったこと、入所者から貰ったケーキを自宅に持ち帰れずに、途中の駅で捨てたこと、頭では分かっていても体が拒否したと、自分の中の偏見と恐怖心を正直に告白しています。その点では、イエスは全く恐れていなかったことになります。

 イエスはこの人をせっかく治してあげたのに、すぐにきつく叱りつけて追い出しました(43節)。皮膚病患者は外出を禁じられているのに、出て来たことへの苛立ちかもしれません。そしてすぐに祭司に見せて、治癒の証明をもらえと指示しました(44節)。律法では、祭司が皮膚病患者を診断して、汚れているか清くなったか判断すると決められています(レビ記13章)。また清くなったとしても、それに伴う煩雑な儀式と、多額の費用のかかる奉納物が必要でした(同14章)。治癒したか否かの診断は1週間ごとに行われ、結果が良くないとそれが延々と続きました。レビ記の規定を現代の私たちが読むと、治癒の証明は必要かもしれませんが、そのための儀式は意味不明でまったく無駄に思えます。この意味不明で無駄なことが神殿の膨大な富となっていました。

 当時の社会においては、祭司の証明と儀式は病人の社会復帰に必要だったと思います。それを経なければ周囲に受け入れられないでしょう。イエスは批判をもちながらも、それを無視できないことに大きなストレスがあったのかもしれません。怒ることがいけないのではなく、むしろ矛盾や不条理に何も感じなくなることが駄目なのだと思います。

(牧師 藤塚聖)

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