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​過去の礼拝説教集2024年7-12月

2024年7月7日(日)10:30~ 

   聖書  マタイによる福音書8章23~27節

 説教 「教会を信じる

​ ​牧師 藤塚  

 

 「使徒信条」は、2世紀後半の洗礼告白文だった「ローマ信条」がもとになっています。4世紀には西方諸教会で広く用いられるようになりました。かつてはイエスの12人の弟子たちが持ち寄って出来上がったとされましたが、ルターはその伝説を破棄して3つに区分しました。その考え方は現代でも受け入れられています。

 全体としては、「父なる神」、「イエスキリスト」、「聖霊」が順番に取り上げられて、この三つを信じるという単純な形です。そしてその三つに夫々説明文がついているので、これだけの文言になっています。最後の「我は聖霊を信ず」の後に、「聖なる公同の教会」含めて5つの事柄が続いています。この5つは父、子、聖霊のような信じる対象ではなく、聖霊の働きの結果として挙げられています。だから私たちは、教会というものは聖霊の働きとして存在していると考えるべきです。しかし時として、教会そのものが信仰の対象として神性化されることもあります。パウロが教会は「キリストの体」(1コリント12:27他)といったことも影響しているかもしれません。

 嵐の中の舟の話は、教会について改めて考えるきっかけになるでしょう。というのは、教会が順調なとき、私たちは自分たちの力でそうなっていると思いがちだからです。自分たちで教会をコントロールできると。聖霊の働きの結果であることを忘れるのです。だからそのことを思い知るために、舟である教会は繰り返し嵐に遭う必要があるのです。

 それなら、教会を存在させる聖霊の働きとは、どういうものなのでしょうか。あえて言うなら、人を人たらしめるものかもしれません。二つポイントがあります。一つは、人の思いを超えて向こうから与えられるということです。考えてもいなかったことが、必然としてやるべきこととして与えられたという経験は誰でもあることです。自分で考えたというより、必然としてそうせざるを得ない使命となるのです。私たちの伝道所では、「がんカフェ」を始めて一年になります。提案者のMさんはご自身の病の体験がきっかけで、樋野興夫先生に出会い、その働きに参画したいと思われました。これも必然として与えられた使命ではないでしょうか。

 もう一つのポイントは、人を解放するのが聖霊の働きだということです。人が本当の自分を取り戻すのです。国際人権法研究者の藤田早苗さんの講演会で、親に虐待された参加者が、「自分には人権がある、人としての尊厳があると初めて知りました」と言ったそうです。人がありのままの自分を受け入れるのは簡単ではありませんが、聖霊はそれを可能にするのでしょう。

 教会の衰退が問題になっていますが、究極的には人がどうにかできるものではありません。私たちに出来ることは、抽象的ですが、教会を聖霊が働く場所とすることだけです。3世紀に、カルタゴの主教キプリアヌスは「教会の外に救いはない」と言いました。教会外の者は救われないという排他的な意味ではなく、自分にとって救いは教会の中にあったという宣言です。私たちの人生と教会との関りを考えた時も、教会と関わっていなければ、今の私は存在しなかったと言えるでしょう。教会の外ではなく内にそれがあったのだから、これからも与えられた教会を大切にしていきましょう。

(牧師 藤塚聖)

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2024年7月14日(日)10:30~ 

   聖書  マルコによる福音書5章11~20節

 説教 「現代における悪霊

​ ​牧師 藤塚  

 

 イエスによる悪霊払いは、通常ならば、悪霊が追い出されて癒された病人は家に帰るという話です。しかしここではイエスに命じられた悪霊が豚の群れに入り、豚が溺れ死ぬという要素が加わっています。そこには色々な背景がありそうです。

 この癒された人は、ヨルダン川東側の地域に住んでいたゲラサ人でした(1節)。彼は暴れて鎖や足かせを壊してしまい、拘束できないので、人里離れた墓場に追いやられていました(5節)。大声で叫び、自らを石で打ち叩くなど(4節)、自傷行為を繰り返しており、精神的疾患としてかなり重症でした。

 この人を苦しめる原因は何だったのでしょうか。悪霊はレギオンと名のり(9節)、ローマの軍団を指しています。軍団は千人から6千人の歩兵と、120人ほどの騎馬兵で構成されていました。デカポリス地区の住人たちは占領軍であるレギオンから日常的に抑圧されていたので、皮肉を込めて悪霊をそう呼んだのでしょう。彼もローマ兵から酷い目に遭い、精神を病んだのかもしれません。現在のウクライナやガザの状況から分かるように、占領軍により土地や家を奪われ、肉親を殺され、心身ともにボロボロになってもおかしくないからです。

 連日ニュースになっているガザは、紛争前から地区全体が収容所状態だったようです。分離壁により移動の自由はなく、福祉、医療、教育は行き届かず貧困が深刻化していました。ハマスがかろうじてそれを支えていたのです。ガザ市民は悪霊はレギオンならぬイスラエル軍だと言うことでしょう。

 そしてそのレギオンが乗り移った豚の大群は、湖に飛び込んで溺れ死んでしまいました。豚はユダヤ人が忌避する動物の代表であり、レギオンが豚もろとも溺れ死んだのは、ローマの占領軍が全滅することを願った住民の恨み辛みの思いが反映しているのでしょう。

さて、この話から私たちは何を考えるべきでしょうか。古代人にとって悪霊は「名はレギオン、大勢だから」(9節)とあるように、人を圧倒する大きな力でした。病気や精神疾患だけでなく、自然災害や大惨事も悪霊の仕業と考えられたので、人にはなすすべがなかったのです。その点では現代の私たちも同じかもしれません。先ほどのガザやウクライナの惨状を前にして、どうにもならない大きな力に対して私たちは無力を覚えます。誰もが平和を願いながら、どうして止められないのだろうかと。また大勢が当たり前と思っている社会で、それに異を唱えることがどれほど大変なことかと。社会的少数者が生きやすい社会は、誰もが生きやすい社会であることを知っているはずなのに。朝の連続ドラマ「虎に翼」を観ると、世の中の意識はその当時とあまり変わってないように思います。しかし寅子のように「はて」と言って、諦めることなく、おかしいことにはおかしいと目覚めていなければなりません。

 ただ悪霊は憑りついたままでなく、払われるものです。このゲラサ人がイエスにより正気にされたように(15節)、私たちも聖書を通してイエスに出会い、その言動をとおして正気にされていきたいものです。

 (牧師 藤塚聖)

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2024年7月21日(日)10:30~ 

   聖書  マルコによる福音書5章23~34節

 説教 「安心して行きなさい

​ ​牧師 藤塚  

 

 この話のポイントは、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」(34節)というイエスの言葉です。そこでよく問題になるのは、この女性の「信仰」とはいかなるものかということです。普通に考えると、これは教会で言うところの「信仰」ではないと思います。だからよくある説教は、この女性の不完全な信仰がキリストへの正しい信仰へと変えられた、だから救われたというものです。その間にイエスの癒し(29節)があり、それに対する彼女の信仰告白(33節)があったと見るのです。要するに、正しい信仰を持ったから救われたということです。

 しかしこれでは予定調和というか余りに教科書的です。もっとこの女性の現実に想像力を働かせるべきでしょう。彼女の病気は不正出血と思われます(25節)。本来女性の生理には社会的配慮が必要なのに、旧約の律法においてはとんでもない話になっています。レビ記5章によると、血による穢れが問題とされ、生理期間中は隔離状態になります。ましてや不正出血なら日常生活は成り立たず、社会から排斥され、人前に出ることは不可能だったでしょう。外で見つかれば厳罰です。彼女は12年間苦しみ続け、医者にかかるたびに悪くなり、財産を使い果たしました(26節)。自死を考えたかも知れません。イエスの評判を聞いて、これが最後とわらにも縋る思いでやって来たのです。それがイエスの服に触れると、治ってしまいました(29節)。

 彼女は病気の治癒だけでなく、イエスの言葉により救われたと思います。彼女のしたことは、イエスへの信仰と言うより治るならイワシの頭でも何でもいい一か八かの賭けです。それでもイエスは「あなたの信仰があなたを救った」(34節)、つまり自らの必死な行動が、自らを救ったと言ってくれました。今までやってきたことは無駄にはならず、これまで否定ばかりされてきた彼女にとって、初めて肯定される体験だったのではないでしょうか。

 そして「安心して行きなさいと」(34節)とイエスは言いました。あなたは何も悪くないし、神に呪われているのでもない、祝福された者として生きていきなさいという宣言です。その後の人生の中で、彼女は別の病気を患うかもしれません。しかしこの言葉を忘れないなら、どんなことがあってもきっと乗り越えていけるでしょう。

 昔この箇所で先輩の牧師が語った説教が印象的だったので、今でも覚えています。この女性に信仰があったのではない、治れば魔術でも何でもよかったのだから。しかし触れた相手がたまたま良かったという内容です。つまり私たちがどうであろうと、絶対的な恵みが先行しているということです。信仰が無ければ救われないという話ではないのです。

 私たち自身のことを振り返っても、道を究めた結果キリスト教に辿り着いたのではないと思います。親の影響とか、近くに教会があったとか、不思議なご縁としか言いようがありません。この教会とのつながりもそうです。私たちもたまたま手を伸ばしたら、「イエスの服に触れた」のです。このようにしてイエスに出会えたのですから、「安心して行きなさい」という言葉を繰り返し受け取っていきましょう。

 (牧師 藤塚聖)

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2024年7月28日(日)10:30~ 

   聖書  マルコによる福音書5章35~43節

 説教 「死は終わりではない

​ ​牧師 藤塚  

 

 会堂長ヤイロの娘をイエスがよみがえらせた話は、私たちに何を示しているのでしょうか。まず会堂長とは、各地にある会堂の責任者のことです。そこでは礼拝だけでなく初等教育や裁判でも使われました。会堂長は内容面には関わらず維持管理や運営にあたり、礼拝では説教者や朗読者を選ぶのが仕事だったようです(ルカ4:17他)。
 その会堂長ヤイロの娘が危篤になり、イエスに助けを求めました。しかし残念なことに、家に向かう途中で死亡が伝えられました。それでもイエスはそれを全く問題にせず、娘のところに向かったのです。家では、彼女の死を悼む人々が泣き叫んでいました(38節)。そういう役目の仕事があったようです。遺族の気持ちなど関係なく大騒ぎするので、習慣とはいえ迷惑なことだったでしょう。そこでイエスはペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人と両親だけを立ち会わせました(40節)。この三人の弟子は重要な場面に必ず居合わせるので、特別に信頼されていたのでしょうか(37節)。彼らの前で、イエスが呼びかけると、死んだはずの娘は起き上がり、歩き出したのでした。
 この話をどう考えればいいのでしょうか。イエスは神だから特別なのだというなら、同じようなことをペテロやパウロも行っています(言行録9:40、20:10)。やはり解釈が必要だと思います。聖書学者のブルトマンは、聖書の「非神話化」を提唱しました。聖書は古代の文書なので、神話的な世界観が前提にある、だからそれを除いて、今の私たちへの語りかけとしてとして聞くべきだというのです。彼によると、この話は生と死をつなぎ合わせる物語ということになります。
 「先生を煩わすには及ばないでしょう」(35節)という伝令の言葉は、死に対して無力な人間の限界を表しています。しかしイエスはこれを完全に無視して、皆の動きが止まってしまっても、さらに前に進み続けています。死が終わりではなく通過点でしかないように。
 皆が泣きわめく中で、イエスは「子供は死んだのではない、眠っているのだ」(39節)と言ました。あざ笑う者たちの常識を無視して、死は断絶ではないことを示しました。そしてまるで昼寝している人を起こすかのように、「起きなさい」(41節)と呼びかけて、歩きだした娘に普段の食べ物を与えるように指示しました。それは死が絶対ではなく、普通の日常が復活の命であるということです。だから何も「恐れることはない」(36節)のです。イエスにとっては、生と死の境界線は決定的なものではないのかもしれません。それ故に命の根源である神を「ただ信じなさい」(36節)というのでしょう。
 ナチスに抵抗した神学者のボンヘッファーは、収容所で処刑される前に、英国のベル主教に「これが最後です、私にとっては生命の始まりです」という言葉を残しました。彼も死が終わりではないと信じていたと思います。死は断絶ではなく、それによってすべてが終わるのではありません。復活の命につながるものとして、毎日の日常と自分の人生があるということ、そこに目を向けながら生きることが大切ではないでしょうか。

 (牧師 藤塚聖)

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2024年8月4日(日)10:30~ 

   聖書  マルコによる福音書5章33~37節

 説教 「信仰は幻想か

​ ​牧師 藤塚  

 

 先週は、会堂長ヤイロの娘の蘇生について考えました。聖書学者ブルトマンに倣ってこの話を「非神話化」するならば、イエスが「死」を特別視することなく「眠っている」と言うことから、死が断絶ではなくて復活の命の通過点に過ぎないことを教えられました。それにしても、病気の癒しならまだしも、死者の蘇生をどう理解すればいいのか分かりません。ただある解説のように、元々は娘の癒しの話が、伝承される過程で死んだ娘の蘇生の話にまで誇張されたというのならよく分かります。
 さて編集者のマルコは、ヤイロの娘の蘇生と不正出血の女性の癒しを結合しているのですが、その意図はどこにあるのでしょうか。娘の年齢と女性の病の期間を12年に合わせたのも理由がありそうです。いずれにしても、二つの話には共通点があるように思います。イエスの言葉に、「あなたの信仰があなたを救った、安心して行きなさい」(34節)、「恐れることはない、ただ信じなさい」(36節)とあるように、「信仰」ということについて語っているようです。
 ただし、ここでの「信仰」と「信じる」は、私たちが教会で普通に使っているそれではありません。もっと広い意味で使われていて「信頼」や「安心」に近いのではないでしょうか。特に12年間病に苦しんだ女性は、治りさえすれば何でもいいという思いだったでしょう。怪しげな呪術でも祈祷でも聖水でも治るなら何でもいいのです。鰯の頭も信心からと言われるように、それが一時的な気休めにすぎなくても、信じたもの勝ちと言えます。でもそれは根拠のないものに頼ることになり、いわゆる「幻想」ではないでしょうか。
 「信仰」とは信じる者にしか分からない領域であり、他人が簡単に正否を判断できるものではありません。信じる者にとっての真理は証明不可能だからです。だから他者から幻想と言われて仕方ない面もあります。しかしどんな宗教や信仰でも、そこに真理があると言える目安はあると思います。それは人としてまっとうに生きているかどうかです。そしてまっとうな生き方には肯定感と死生観が伴うはずです。
 私は「安心して行きなさい、恐れることはない、ただ信じなさい」というイエスの言葉から、生きることへの絶対的な肯定感と命への信頼感を示されます。つまり「幻想」ではない「信仰」とはそういうものだと思うのです。「肯定感」とは、自分を認めて他者も認めること、色々あっても人生はいいものだと思えることです。「命への信頼」は生と死についての見通しを持つことです。
現在社会問題になっている宗教カルトはそうではありません。二元論的な世界観により、人を善と悪の領域に分け、今の世を否定して歪んだ彼岸への願望を中心にして生きています。本人は幸せかもしれませんが、周りもそうであるようには思えません。私たちの信仰にも幻想の部分はあるかもしれません。しかしそれが人としての道に背かないで、まっとうな生き方を後押ししているのなら、それは信仰として間違っていないのではないでしょうか。

(牧師 藤塚聖)

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2024年8月11日(日)10:30~ 

   聖書  マルコによる福音書6章1~6節

 説教 「マリアの息子イエス

​ ​牧師 藤塚  

 

 「使徒信条」の前半部分に、「主は、聖霊によりみごもられ、処女マリアより生まれ」とあります。これは、マタイとルカの「誕生物語」からも分かるように、イエスは特別な存在なので、普通の誕生ではないという信仰を表現しています。

 それに対して、マルコ福音書にはイエスの誕生物語はありません。しかしイエスの出生に関わる話は記されていて、それが今回の話です。結論としては、残念ながらイエスは故郷のナザレでは全く受け入れられなかったということです(6節)。それには幾つかの理由がありました。一つは、イエスの身元が知られ過ぎていたことです(3節)。郷里の人たちは、イエスの家庭の事情や経済状態まで知っていたことでしょう。特別な教育を受けなかったこともお見通しです。何から何まで分かっていたので、成人したイエスを尊敬できなかったのです。それは仕方のない事であり、現代でも成功者が郷里に錦を飾っても、年配者には子供扱にされるなど、どうしても予断をもって見られるものです。イエス自身が昔の預言者も同じだったと言う通りです(4節)。

 二つ目は、「マリアの息子」(3節)という呼び方です。当時は父親の名が頭に付くことで他人と見分けられていました。従って通常なら、ヨセフの子イエスと呼ばれるはずです。母親の名で呼ばれたのは、父親のヨセフが若死にして、人々の記憶から消えていたのかもしれません。しかしそれは習慣として考えにくいので、イエスの父親ははっきりしなかったというのが理由かも知れません。つまり郷里の人々は、父親が不明であったイエスを蔑む意味でこう呼んだのではないでしょうか。

 またイエスには4人の弟と複数の妹がいたようです(3節)。亡くなった父に代わって大工をして一家を養いました。イエスがおとなしく郷里で家業を続けるなら反発はなかったと思います。ある時を境に地縁と血縁を切って村から出て行き、不可解な活動を始めたことに、人々は不信感を抱いたことでしょう。律法の教師でもないのに聖書を語ることにも違和感があったのです(2節)。 

 また狭い村社会の中で、家族の中に逸脱する人がいるなら、家族全体が白い目で見られることになります。活動しているイエスを、親族や家族が連れ戻しに来たのも(3:21)、そういう事情からでしょう。血縁を切ったイエスとしては「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」(3:33)と言わざるを得なかったのです。

 イエスは偏見や差別の中で、父に代わり家族を養いました。そして召命のため全てを捨てることで、さらに負い目が加わったかもしれません。こうしてみると、イエスの背負った苦労は、最後の十字架に至るまで、最初の出生の時からあったと言えます。だから差別される人、弱い立場の人の苦しみを受け止めることができたと思います。

 出生に関わる問題は、現代でも「非嫡出子」、「無戸籍の子」の問題にもつながります。イエスが「処女マリアより生まれ」たことをドグマとしてだけでなく、その背後にあったことにも心留めるべきでしょう。

(牧師 藤塚聖)

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2024年8月18日(日)10:30~ 

   聖書  ルカによる福音書4章16~30節

 説教 「肉に従って知ること

​ ​牧師 藤塚  

 

 前回は、イエスが郷里では全く信用されなかった話をしました。郷里の人たちはイエスの出生を含め、家族のことを昔からよく知っていたので、尊敬できなかったのです。

 今回の平行記事では、ルカ独自の思想が加わったために内容が大きく変わっています。ここには、キリストの福音はユダヤ人ではなく異邦人に受け入れられ広まっていくというルカの考え方が反映しています。そのために、イエスが旧約の故事を引用して(列王記上17、列王記下5)、ユダヤ人の選民意識を逆なでするような話をしたために、ユダヤ人が激怒して彼を崖から突き落とそうとした話になっています。郷里では敬われないどころか、反発されて殺されそうになったというのだから、話が全く変わっています。

 元の話に戻ると、イエスが郷里で尊敬されなかったのは、知られ過ぎていたことにあります。村の人たちは家庭の事情から何から何まで知っていました。それは予断をもって見たということです。一方で弟子たちや支持者たちは良く分かっていなくても、もっと知ろうとして従っていました。イエスを誤解していつも叱責され、最後は裏切る駄目な人たちですが、何とか離れずにつながっていました。

 それに比べると、パウロは弟子たちと違って生前のイエスを知りませんでした。そのため手紙には「肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はそのように知ろうとはしません」(2コリント5:16)と書いています。私はこれを批判的に見ていて、パウロが生前のイエスへの関心を捨てて、抽象的なキリスト論に逃げたと考えていました。確かに彼はイエスについて弟子から教えを受けていたし(ガラテヤ1:18)、弟子でなかったため常にその「使徒職」を疑われていました(1コリント9:2)。それでムキになって自己弁明しています(ガラテヤ1:1)。しかし彼はある意味では弟子たちよりイエスの福音の一面を鋭く捉えたのではないかと思います。弟子たちはイエスをよく知っていたはずなのに、彼らが中心のエルサレム教会は、残念ながらイエスの言動からズレた教会だったと思います。 

 こうしてみると、パウロより弟子たち、弟子たちより郷里の人たちの方が、生前のイエスに関する情報や知識は多かったはずです。しかしそのこととイエスを深く理解することは違うのです。

現在、教会の「学びの会」では、歴史的イエスの復元について学んでいます。教理的な覆いを取り除いたら何が見えてくるのか、なぜそこから教会が成立したのか、学ぶべき点は多くあります。しかしこれもまた一面にしかすぎません。自分の狭い経験や知識により、簡単に分かったつもりになるのが一番良くないと思います。「肉に従って知ること」の限界を分かった上で、それでもそこに真理があると信じているのだから、完全には分からなくても、これからもイエスキリストを追い求めていきたいものです。 

(牧師 藤塚聖)

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2024年8月25日(日)10:30~ 

   聖書  マルコによる福音書6章7~13節

 説教 「イエスによる派遣

​ ​牧師 藤塚  

 

 弟子たちはイエスにより付近の村に派遣されましたが、そこには考えるべき問題が幾つかあるように思います。まず、「汚れた霊に対する権能」(7節)については、本当に弟子にそれが可能だったのか疑問が残ります。場合によっては出来なかったこともあるからです(8:18)。このことを私たちに置き換えるとどうなのでしょうか。

 装備の貧弱さも気になります。杖一本、金銭も持たず、ほとんど何も準備もしないで赴くわけです。現地の支援に頼るということでしょうか。このイエスの宣教命令を愚直に実践した実例があります。1950年代に日本キリスト教団は、「北海道開拓特別伝道」(北拓伝)という計画により開拓伝道を行いました。全道で20か所の拠点は都市部から離れた地方が殆どでした。そこには若い伝道者が派遣され、援助が5年に限られる中で必死に頑張りました。しかし戦後のキリスト教ブームも終息し、炭鉱の閉鎖や農村の過疎化が進み、伝道は困難を極め、多くの教会は閉鎖や休止に追い込まれました。そして伝道者は深く傷つき、その5割は教団を去ったといわれています。専従者がいなくなった教会にも大きな傷跡を残しました。その反省から、後には経済的な保証制度や教会間の連帯が模索されるようになりました。

 聖書の報告は解釈なしでは私たちに当てはまりません。「悪霊追放」は、この世に穢れた人はいないこと、つまり人間の尊厳を否定する事柄と戦うことでしょうか。あるいは悪霊が祓われて人は「正気になる」のだから、悪霊ならぬ社会通念という思い込みからの解放でしょうか。

 次に、出来るだけ一か所に留まり(10節)、受け入れてもらえないなら、足の裏の埃を払い落として出て行くことが言われています(11節)。論点がずれるかもしれませんが、教会の牧師の任地や在任期間はどうあるべきなのでしょうか。「監督制」では組織の命令により任地が変わります。「会衆制」では教会員の決定が大きな力を持ちます。私たちの日本キリスト教会は「長老制」であり、簡単に説明できない微妙なところがあります。それにしても、教会と牧師の相性というものがあり、ある教会では拒まれた牧師が別の教会では大いに受け入れられることもあります。あくまでも適材適所ということなのでしょうか。適合(?)しないときはお互いが不幸なので、無理せず分かれるのが良いのでしょうか。

 最後に、イエスが二人を組ませて派遣したことは重要です(7節)。どんなに優れていても一人では限界があるし、必ず仲間が必要です。信仰においても信頼できる友人の存在は大切です。某神学者の「真実を求める人のための宗教」というエッセイに、先進国で伝統的な宗教が振るわないのは社会的に有利にならないからとありました。一昔前の欧米では、結婚や就職に有利だったようです。しかし逆に宗教にそのような利用価値がなく、真実を求める人だけがそれに近づくのは良いことだとありました。真実を求める人が少ないのは残念ですが、それだけに教会の仲間は本当に貴重な存在なのだと思います。信仰生活において同伴者が身近にいることは、決して当たり前のことではありません。

(牧師 藤塚聖)

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